だんだんと権限委譲が進む中で、管理との最適なバランスを模索するのがこのステージです。
目覚ましい成果を出す現場マネージャーがあちこちで頭角を表す一方で、経営幹部の一部には、自分たちの指示を素直に聞かなくなることを懸念したり、将来の自分の地位を奪うのではないかと危機感を持つものが出てきます。
そこで再び管理の強化が図られるのですが、これは結果的に「現場に近いマネージャー(リーダー)」と「マネジメント層(場合によっては経営者自身)」の間で激しい綱引き(主導権争い)を引き起こします。
<このステージの特徴>
・業績は緩やかな安定期に移行し始めている会社が多い。
・マネジメントを専業とする人材が上級管理者(シニアマネージャー)として外部から登用されます。
・ 転職組の上級管理者はマネジメント体制を維持するために、例外対応を認めなくなる傾向になります。
・現場の現状を把握するために細かい「報告書」(ペーパーワーク)を求めようになり、現場は内向きの仕事に時間を取られるようになります。
・組織では「情報=力」となるため、自分のポジションを維持するために、情報を囲い込もうとする動きが徐々に出てきます。その結果、社内の風通しはだんだんと悪化します。
<コンフリクト:統制の危機>
・ 現場で好業績を上げ、独走する部門(個人)が出始めます。
・ 上位管理者のうち何人かは、コントロールを取り戻すために、集権化への動きを起こします。
ただし、この試みはほとんどの場合うまく行きません。なぜなら、すでに会社は大きくなりすぎているからです。それにもかからず、強引に集権化しようとすると、いつまでも会社は「第三段階」と「第二段階」を行ったり来たりします。
●属人化の排除と2つの罠
組織の成長につれ、マネジメントを専門とするスタッフ(管理職)を外部から雇用する必要が出てきます。
社長が
「ぼちぼちウチも大きくなってきたから、社内のコンプライアンス体制を作れるヤツが必要だ」
と考え、外部からスカウトした人材(大企業の管理職出身者など)を執行役員や経理部長などとして登用すると、多くのケースで組織を急激に締め付ける方向に向かいます。その理由は3つです。
1)早く自分の存在価値(優秀さ)を上にアピールしたい
2)実際の業務に精通していないので現場に任せておくのが怖い
3)組織を統制しコントロールすることで成果を出したい
(それが前職で当たり前だった)
そして典型的な2つの落とし穴にハマってしまうのです。
▼落とし穴(1)
一つ目はアメリカの社会学者マートン(Robert King Merton)のいう「官僚制の逆機能」という現象です。
「現場に任せておくと、どうしても個人の恣意的な判断が伴うため、全社の統一的な判断基準が必要だ」
と考えた上級管理者は、不確実性を押さえ込むために、ルールやマニュアルの整備をはじめます。
これによって確かに業務の標準化とその管理体制のシステム化が進み、業務効率がアップします。
あいまいだった社内の規律が明確になり、無断欠勤や遅刻などが勤務態度がコントロールされるようになり、規模の拡大や、コンプライアンス(法令遵守)のための体制が整います。
ただ話はそんなに単純ではありません。
上級管理者は必要以上に管理をエスカレートさせてしまうのです。そして、いつの間にかルールを守らせること自体が目標になってしまう管理者や「とにかくルールを守ればいいんでしょ」と考える社員が増えていきます。そして、ついにはその会社独自のよさや、本来の会社の目的(ミッション)を見失っていくのです。
これによりサービス業であればルール通りの対応しか出来なくなり、顧客満足度は下がり始めます。例えば「おもてなし」で有名だった旅館やホテルが、規模拡大につれて杓子定規なサービスしかできなくなっていくのがこの典型例です。
そしていったん向上したかに見えた業務効率が、逆に下がり始めるのです。
そこで上級管理者は効率低下を防ごうと、さらにルールを追加します。ただいったん作ったルールを廃止する事は大きな困難を伴うので、ルールはどんどん増え続け、現場は自由度を失っていきます。
こうして自由闊達なベンチャー気質の雰囲気は一気に変貌していく事になります。
●”野武士社員”が去っていくプロセス(標準化とのせめぎ合い)
大混乱の創業期を創業者とともに過ごし、大きな裁量権を持って仕事をしてきたアントレプレナー気質のマネージャー(リーダー)にとっては、後から入ってきた縁もゆかりもない「管理のための管理者」に上から指示命令される形になり、その裁量権(自由度)を一方的に剥奪されます。
その結果、それまでは直接経営者と話せば、一発で通っていたような提案でも「管理のための管理者」が間に入ることによって、すぐに実行できなくなったり、場合によっては彼らに拒否されたりするシーンが増えます。
そこで創業当時から会社にいるメンバー達は、フォーマルな社内手続きを飛ばして創業者に直談判するようになります。ところが社長は創業期から同志として一緒にやってきた現場リーダー達にシンパシーを感じるものの、転職組のCFOやCMOなどのハシゴを外せません。
そのため現場リーダー達の訴えを拒絶する形になり「裏切られた」という印象を与えます。
また経営者自身が会社の成長を支えてきた功労者である現場リーダー社員よりも、”優秀”な転職組の上級管理者達を厚遇することもよくあります。
私のよく知る会社で
「上場してやっとウチも優秀な社員を雇えるようになった」
と社長が言っているのを聞いて一同ドン引きし、シラけた社員がみんな辞めてしまいました。
本来は「みなさんのおかげでここまで成長できました」と感謝しなければならないのですが、自分(の会社)が外部のエライ人から正式に認められた(=自分の価値を世の中に証明できた)ことに舞い上がってしまい、慢心してしまうのです。
このようなことが積み重なり、マネジメントと現場との信頼関係が徐々に悪化した結果、創業期から会社を支えた人材は去っていくことになります。
▼落とし穴(2)
2つ目の落とし穴は「誤った競争制度の導入」です。
組織が大きくなってくると、必然的に営業、経理、開発、など機能別に役割分担が行われます。このプロセスで
「自社はどんな価値を提供しているのか」
「お客さんはどんなことに困っているのか」
「自分の作った商品をお客さんは喜んで使ってくれているのか」
といった全体感や「商人的感覚」をだんだんと失っていきます。そして、ついにはビジネス全体の絵が見えなくなり、
「与えれた役割だけ果たせば良い」
「その他の事はほっておけばよい」
という錯覚に陥り、階層や部門ごに利害に不一致が起こって「部分最適化」してしまうのです。
さらに、この状態が成果主義と結びつき、
「部門をお互いに競争させよう」
という方向に向かってしまいます。もちろん、それで各部門がお互いに切磋琢磨する関係になれば何の問題もありませんし、売上アップに結びつくこともあります。
ただ多くの場合、本来つながっているはずの仕事を部門毎に分断し、社内で競争を煽る事は、タコツボ化(サイロ化)を助長し、業務の流れを悪くし、結果的に社員同士の信頼関係を傷つける形になってしまいます。
例えば、第1、第2、第3営業部があるような会社で、顧客ターゲットがかぶっている場合、他部門を助ける事は、自部門を苦しめる事になります。したがって個人的には友好関係があっても、組織人としては敵対するライバル関係となり、情報共有も、相互協力も行わなくなっていきます。
同じような対立は、社内のあちこち(営業vs開発vs生産など)で起こり始め、組織の部分最適化が着実に進んでいきます。そして会社全体の業務フローが徐々に悪化していくのです。
このように本来つながって行われるべき仕事が、誤った評価指標(KPI)によってバラバラになっていくのです。(逆に言えば、KPIを修正することでこの問題は解決します)
・さらに社内での過剰な競争をあおり、成果をお金(外的報酬)と極端にリンクさせることは「この仕事が好きだ」という社員の根本的なモチベーション(内発的動機)をそいでしまう「アンダーマイニング効果」を引き起こしてしまいます。
・ 独自のマネジメント方法を見いだし、このような対立をうまく統合することに成功した会社は第4段階に進みます。
<マネジメントコントロールの視点>
・ 「現場へ権限委譲する」という手法は、現場の創意工夫にまかせる事を意味します。この方法の最大のメリットは、各自が当事者意識を持って考え、現場で成果を上げようとする事です。その努力の中で、経営陣が想定しなかった新しい方法で成果を上げる現場(部門)リーダーが出てきます。
・ このように現場が創意工夫で成果を上げるのは、本来望ましい事です。ところが一部の上位マネージャーはそれを快く受け入れることができません。なぜなら、序列的には格下であるはずのマネージャーが想定外の方法で結果を出す事に嫉妬したり、優秀な部下ほど自分の地位を危うくする潜在的リスク(=ジョブセキュリティ上の危機)だと感じるからです。
そして自分を追い越さないように、判断を自分に依存させることでパワーを維持しようとします。その典型的なセリフが
「俺は聞いてない」
です。
実際「下」であるはずの人間がスゴいことをやっても、プライドやメンツに囚われて素直に認めることができないため、下の人間に戻るまで、頭を叩いて押し戻そうとするのがありがちなパターンです。
・現場から非効率なルールの変更を迫る「正論」が出てくる事がありますが「現状を変えようとする力」は、しばしば「現状(秩序)を維持しようとする力」と対立します。なぜか。それは仕事の目標が微妙にズレているからです。
・「マネジメント層の目標」
→安定的成長の足場固め/ルールの統一と遵守(ガバナンス)
・「現場マネージャーの目標」
このようなズレがコンフリクト(対立)の源泉となり、上位管理者にとって、創業期からいる実力派の現場マネージャー達は、煙たい正論を言うので扱いづらく、協調性がなく、そして自分勝手な(乱暴な)連中に映り、逆に現場マネージャーにとって上位管理者は、杓子定規で、現場を知らないのに偉そうな理屈ばかりをこねる社長のイエスマンに見えてしまうのです。
例えば、以下のようなケースがあったとします。
あるレストランで深刻な話し合いを行っているグループがあった。その店では空いた皿はすぐに下げるというルールがあったが、ウェイターは話を邪魔しないよう、皿を下げるのを後にしようと判断した。
「生きた現場」では上記のような臨機応変な対応を常に求められますが、その一方で管理側は統制がとれなくなることを懸念するため
「そんな勝手なことをしたら、すべてのお客さんに同じ対応をしなければならなくなるじゃないか。その責任がオマエに取れるのか!」
と非難の声を上げることになり、結果的に両者は衝突してしまいます。
このような衝突が何度も繰り返されるなかで、最適な権限委譲のバランスを見極める必要性が、だんだんと認識されるようになります。
●宦官と武闘派の戦い
第2段階でも少しご紹介しましたが、一橋大学大学院の沼上幹教授は、著書「組織戦略の考え方」で、第3段階、そして次の第4段階で起こるような社内の対立を「宦官VS武闘派」と呼んでいます。
権力を手にいれた”宦官”たちは、自分たちに歯向かってきたり、自分の地位を脅かしかねない”武闘派”を封じ込めるため、ルールを厳格化し、そして複雑化します。
また彼らの失脚を狙ってトップに讒言(ざんげん)したり、社内でデマを流したりと非合法な手段を取る場合も少なくありません。(もちろんパワハラのリスクを避けるため、足がつかないように陰湿に行われます。)
過剰な予算を現場に背負わせて、未達の責任を追及するなどいろいろなケースがありますが、要するに揚げ足を取りたい訳ですから「書類の形式が間違っている」「交通費の精算に漏れがある」など、何でもいいのです。
それでもなお、エキスパートとして最前線で戦っている武闘派は、いろいろな手段を使ってなんとか成果を上げようと画策します。
ただこの社内政治の戦いは長期的には「武闘派」が敗北する運命にあります。なぜなら不確実性の高い現場で常に結果を出す責任(リスク)を負っている「武闘派」に対して、ルールのプロたる「宦官」は組織的なポジションが高い上に、評価/管理側なので失敗するリスクが極めて低く、その上トップとのコミュニケーションラインを支配しているからです。
結局「武闘派」の一挙手一投足を監視し、揚げ足を取るタイミングを待てば良い訳で、時間が長引けば長引くほど、宦官は有利になります。
「『宦官』たちは『武闘派』の失敗を組織の大事件・スキャンダルに仕立て上げて失脚を狙う。現行ルール体系の下では、残念ながら『宦官』たちが正当性を主張でき、『武闘派』には何らかのペナルティを課していかざるを得なくなる。減点法がはびこっていく。」(沼上幹「組織戦略の考え方」)
組織戦略の考え方―企業経営の健全性のために (ちくま新書) (2003/03) 沼上 幹 |
孤軍奮闘する武闘派にシンパシーを感じている社員もいない訳ではありませんが、多くは静観します。(組織内で生き残るためには仕方がないのですが。)
こうして最後には宦官が勝ち、”危険分子”である武闘派は粛正されることになります。
●死屍累々から学ぶ
正義感に駆られた武闘派たちが、トップや役員に”青臭い”正論をぶつけ、次々に討ち死にしていく一部始終を見ている社員たちは社内でリスクを取ることが割にあわず、むしろ長いものには巻かれるほうが圧倒的にメリットが大きいことを「学習」します。
結果的に「実力で外で勝負したい(できる)と思う人」「宦官なんぞに評価されたくない(正しい評価などできる訳がない)と思う人」たちは組織を出て行きます。
一方残留メンバーの中には、武闘派の”残党”と思われないように口を閉ざしたり、中には積極的に宦官側に取り入ろうとするグループも出てきます。
こうして組織の質的変化が進みます。
●コンフリクトマネジメントが次のレベルいけるかの分岐点
そもそも組織内で対立が起こること自体はネガティブなことではありません。各社員に情熱がなければ、対立すら起こらないからです。
したがって、この第3レベルからさらに上にいく会社(その会社の経営者)は、正論を吐いて自分にたてつくような現場マネージャーが、社内で潰されないように守ります。
なぜなら、社内がイエスマンばかりではダメだと気づいているからです。
実際に、ザ・ラストバンカーとの異名を取る三井住友銀行名誉顧問の西川善文氏や、トヨタ自動車の社長を務めた奥田碩氏などは、まさにこの「正論を吐くマネージャー」だったと言われています。
ソニーの強さも、まさに同じところにありました。ソニーを経て、AOLジャパンや会計ソフト会社『弥生』などで社長を歴任した平松庚三氏は雑誌のインタビューで次のように答えています。
「盛田・井深時代は役員から平社員まで、自分がソニーを支えていると思って仕事をしていた。クセのある人も多く、わがままなヤツばかりでしたが、お互いが切磋琢磨していた。それを盛田さん、井深さんは面白がっていた。」(「現代ビジネス」2014年02月24日)
このように社内でぶつかり合うエネルギーを押さえ込むのではなく、高いレベルで統合(昇華)できれば、それはさらなる成長への躍進力となります。(これこそがまさにコンフリクトマネジメントです。)
逆にコンフリクトマネジメントに失敗すると、「変わり者」「反逆者」と呼ばれる人々をはじめ、尖った人材はことごとく組織を去って行きます。
また"実力主義のベンチャー”に憧れて転職(就職)したのに、組織の実態が透けて見えてしまった社員も数年で去っていく事になります。
雑誌やテレビのインタビューなどで社長の話に共感し、それを真に受けて入社した人が、社内のあまりのギャップに失望して後数年で辞めてしまった、という例がよくありますが、ほとんどが上記のようなパターンです。(もちろん、本当にベンチャー気質に溢れる会社も一部にはありますが。)
このようなプロセスを経て「宦官」は自分たちがコントロールしやすい”よい社員”を雇用する事になり、だんだんと同質化した”フツー”の会社になるサイクルが生まれます。
業態にもよりますが、イノベーションを武器としてきた会社にとってこの流れは競争力(成長力)の低下を意味する一方、すでにビジネスモデルが固まりつつある企業や、インフラ系のビジネスでは、逆に経営の安定性を確保することになります。
●後継者はカリスマ経営者の直下にはいない
それでもカリスマ創業社長が健在なうちは、前述したよう問題は表面化しません。ただ社長が退いた瞬間から会社が傾いたり、倒産する理由は共通しています。
イノベーター型の創業社長に対し、その側近には管理を得意とするタイプが多いこと、また常に圧倒的な権力者のパワーを背景に仕事をしてきたため、リーダータイプが少ないことが主な理由です。こうした背景から、社長がいなくなった瞬間に社内は求心力を失ってバラバラになってしまうという訳です。
実際、カリスマ社長の直下にいる部下がリーダーに向いているかと言えば現実は逆です。むしろエライ人に「仕える」ことに満足を感じ、滅私奉公/絶対服従できる家来タイプからこそ、個性が強い(誤解を恐れずに書けば、感情的でわがままな)社長とバッティングせずに長い間”宮仕え”できる場合が多いのです。(それは悪いことではありません。)
また強引にパワーで社内を統制している経営者の場合、”危険な”部下を遠ざけようとするので、取り巻きにはイエスマンしかいない状態になりがちです。
ただ経営者自身も自分の周りの役員が後継者として力不足であることは薄々気づいているため、普段は使いやすい彼らを重用しつつも、本当の後継者には、痛いことをズケズケ言う買収先会社の個性的な経営者を選んだり、海外支社長などの本社役員人事とは離れた「辺境」から次期リーダーを選ぶ事も少なくありません。(また本当に信頼できるのは身内としか考えられなれば、世襲を行うことになります。)
●積極的な思考停止
あるカリスマ社長がオーナーを務める会社のミーティングで、同社の経営戦略について役員の考えを聞いたところ「私の役割は社長の言われたことを実現する事で、何かを自分で判断する事ではありません」「自分の意見はありません」と真顔で答えられて驚いたことがありますが、この発言などは前述のような状態を良く表しています。
一般社員の「指示待ち」を嘆く会社は多いものの、その会社の幹部自身がオーナー経営者の言葉を御神託として崇め、その判断が正しいかをどうかすら自分の頭で考えない「指示待ち」になっている会社は少なくないのです。
ユニクロ社内で、しばしばケンカのように柳井社長と議論していたという堂前宣夫氏(当時の執行役員)は
「何も考えずに柳井さんと向き合うと『天の声』に聞こえてしまう」
と日経産業新聞のインタビューで答えていますが、まさにカリスマはカリスマだけに、その言葉には力があり、圧倒的な実績もあります。
したがって周りが精神的に依存しやすく、その指示を遂行する事にある種の快感を感じてしまいます。そして自らイエスマンになることを選び
「社長が指示があったからやる」(指示がないからやらない)
といった具合に「自分で考える事」をだんだんと放棄してしまうのです。(そして「社長を喜ばせる」こと(=社長からの承認欲求)自体が目的となるような、ある種の宗教的な空気が蔓延します。)
また取り巻きは取り巻きで、取引先に対して会社の名前で勝負ができるので楽なうえ、社長の言葉をコピペでしゃべっていれば自分の実力以上に周りがちやほやしてくれるので、「その状態こそが問題である」という客観的認知もできなくなってしまいます。
●忖度(そんたく)をアピールする組織文化の弊害
このような状況が蔓延すると、カリスマ社長が指示を出すと、周りがその真意を確かめずに下に指示を出してしまうような状況が頻繁に発生します。自分が社長の真意を汲み取れる=忖度(そんたく)して動ける「できる人材」であるのをアピールしようとするからです。
「きちんとした経営者がいて、意味のある指示を出したとしても、管理職がその意味を分からずに、ただ「やれ」という指示だけを下に伝える。どのような意味があって、目的が何かということを理解していない。そうすると指示を受けた方も、意味が分からず面倒な事をやらなければならない。当然、ストレスの問題が生じてきますよね」(川上真史「仕事中だけうつになる人たち」P100)
ただ真意(本当の目的)が分かっていない訳ですから、部下が
「その指示の目的はなんですか?」
「社長はどういう意図でその方針を打ち出したのですか?」
と聞いても「自分達で考えろ」とばかり指示はそのまま下に丸投げされ、現場は混乱することになります。(このような丸投げ型中間管理職は「伝書バト」と呼ばれます。)
同じ理由から、突然現場がスケープゴートにされたり、逆に現場からの提案が(ほぼ内容を考慮されずに)ストレートにトップレベルまで到達する事もよくあります。
これは中間管理職が自分で何かを解釈したり、判断する事にリスクが伴うために結果的にそうなるのですが、これは風通しのよい「フラットさ」ではなく、社長への依存度が高すぎる現れと言えるでしょう。
図で表すと下記の通りです。
●ポストカリスマ時代に起こる事
現場レベル(武闘派)からのストレートな意見は、時にトップに高く評価される事はあるものの、それは上級管理職(宦官)からの嫉妬を買うリスクを確実に高めます。
前述した通り、カリスマ経営者の直下には、その”寵愛”を受けたいと思っている面々も少なくないため、新人ライバルの登場に危機感を感じたり、社長に失礼なことをいう輩を遠ざけるために攻撃するのです。
さらに問題の根が深いのは、豪腕社長自身も周りを「子ども」として依存させ、「やっぱり自分が判断しないとダメだよな」という体制の中で満足感(自己重要感)を満たしたり、指示の実行スピードを上げたりできるので、現状の体制を良しとしてしまうことです。
もちろん、自分の周りが「喜び組」だらけではダメだと気づいている経営者もいない訳でないのですが、社長自身が「自分がいなくてもまわる会社を作る」と本気で決断しない限り、その体制がカリスマ社長在任中に作られることはまずありません。
なぜなら、社員レベルでその議論を始めた途端、
「社長をないがしろ(冒涜)にする動きがある」
「影で怪しいことをたくらんでいる輩がいるようだ」
などの憶測が飛び交い、彼らの失脚を狙う”密告者”によって、社長の怒りを買って追放されるリスクが高いからです。したがって、ポストカリスマ社長の社内体制についての議論は、実際に”その時”が来るまで先送りされることになります。
当然ながら、ポストカリスマ社長時代には同じやり方は通用しなくなります。なぜなら「社長に褒められたい」「気に入られたい」という強力な求心力が一気に無くなるからです。
そこでありがちなパターンがいくつかあります。
パターン1)先代を「神格化(レジェンド化)」して、その威光で後継者がリーダーシップを振るおうとする (カリスマ社長在任中に「神格化」の傾向が強すぎると要注意)
パターン2)後継者が周りを身内で固め、先代の息のかかった古株を追い出して、社内を強引に統率しようとする
パターン3)先代のやり方を全否定し、「改革のリーダー」として自分の実力を証明しようとする
パターン4)利権やポストを狙って息をひそめていた面従腹背の経営幹部たちが、カリスマ社長引退後に一気に対立が表面化させる
どちらにしてもこれらでうまくいく確率は高くなく、船頭を失った組織は迷走の道を辿ることになります。
●カリスマを必要としない自律的企業をつくる
このような状態を回避するためにはどうすればよいのか。2001年、ユニ・チャームのカリスマ創業者、高原慶一朗の跡を継いだ息子、豪久(現社長)もまさにこの課題に直面しました。豪久氏は社内改革を断行しようとしたのですが、ベテラン幹部は派閥を作って抵抗し、他の社員たちは長年のトップダウン経営によって思考力を失っていたといいます。
高原豪久氏は日経ビジネス誌のインタビューで
「私には父のようなカリスマ性はありません。(中略)自分の言葉で語りかけても、聞く耳を持ってもらえない」
と答えています。最終的に同社ではカリスマ後の経営を行うために京セラの「アメーバ経営」やトヨタの経営システムをお手本にし、社員同士が小グループを作り自己管理を行う「SAPS経営」というマネジメント方法を開発し、同社を成長に導いています。
ソニーの出井元社長も同じように井深大と盛田昭夫という2代カリスマ創業者亡き後の会社経営を託された経営者でしたが、前述の高原豪久氏と同じく、自身が「カリスマ」ではないことを自覚していたと言われています。そこで社外取締役制度を含む「近代経営」にその解決法を求めましたが、結果的に、出井氏以降の「自由闊達なる理想工場」は迷走し、大きく変貌していく形となりました。(ご存知の通り、このテーマに関する書籍は多数出版されています)
またリッツカールトンホテルのように、現場にうまく権限委譲して自律的組織を作り上げているケースもあります。
同ホテルの現場のスタッフは、顧客(ゲスト)のために必要であれば3000ドル程度を出費を自分の裁量で使える権限を与えられています(その都度稟議を出す必要はありません)。そのため、スピーディーでフレキシブルなゲスト対応が可能になっているのです。
このように現場にきちんと権限委譲し、かといって(たまに発生する)簡易郵便局の横領事件にように現場がブラックボックス化して暴走しないような
「仕組み」=マネジメントコントロールシステムズ
を作り、会社全体として調和がとれる体制を構築した会社は、次のステージに進む事になります。
もう一つ参考になるのは「クレド」で有名なジョンソン&ジョンソン(J&J)です。
同社では、後継者を選出するための指名委員会があり
「クレドの一番の実践者」
である人物を推薦する方法を「仕組み」を確立し、1932年以来、連続して増収増益、平均成長率11%を達成しています。J&Jに限らず、長年続いている会社はこのような「仕組み」をきちんと構築しているのです。
著名な経営学者コリンズ(「ビジョナリ・カンパニー」著者)は、
「長年繁栄し続ける偉大な会社にカリスマ経営者は不可欠でない」
と述べており、「組織」としての経営の重要性を強調していますが、この点でJ&Jは好例と言えるかも知れません。
(補足)社内で生きていく覚悟を決めた武闘派には、
1)宦官を懐柔するスキル(=サラリーマン力)を身につける
2)宦官のさらに「上」にいる人と通じて強硬突破を図る
3)「Too big to Fight」(大きすぎて戦えない)状態に自分を持っていく
など足下をすくわれないための戦略が必要です。
1)に関しては、ドロドロした社内政治が嫌いだからこそ武闘派になっているという側面もありますので、最終的にどうするかは個人次第(+運)です(2は特に運です)
最も正攻法な3)を達成するためには、まず「圧倒的な結果を出す」必要があります。「最も重要かつ本質的な問題」は多くの利害関係に抵触するリスクが高いため、万一攻められても容易に陥落しない堅牢な陣地を、先に構築する必要があるのです。
いずれにしても圧倒的な結果を出すまでは極めて高リスクですが、具体的な結果を出している分だけ説得力があり、上層部を含めて味方(理解者)が増やせる可能性が高まる事は間違いありません。
◎NEXT→ 第4段階:部分最適化とイノベーションのジレンマ
▼成長の5段階(プロローグ:基本解説はこちら)
第1段階:ゼロからイチをつくる
第2段階:家業から企業への脱皮
第3段階:宦官と武闘派の戦い
第4段階 :部分最適化とイノベーションのジレンマ
第5段階:新しい組織のかたち
【参考図書】
・カリスマ亡き後のソニーで起こったことがよくわかる
「オレの愛したソニー「ソニーショック前夜、うつ社員が急増した」(AIBOの開発責任者、土井利忠の述懐)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/031800001/061300012/
・ジョブズ復帰前後にアメリカ本社に勤めていた著者が、何が社内で起こったかを綴った一冊。
僕がアップルで学んだこと 環境を整えれば人が変わる、組織が変わる (アスキー新書) (2012/10/24) 松井 博 商品詳細を見る |
・一読の価値ありです。
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・米国本社に逆らいながらも日本マクドナルドを成功に導いたカリスマ創業者 藤田田氏の後任である原田泳幸氏と対立して下野した「武闘派」たちのその後
http://netgeek.biz/archives/44620
・第3段階にいる中小企業のリアリティが良くわかるコラムです
「転職後に待っていたのは人材の墓場!「中小企業=やり甲斐」という危険な幻想」(ダイヤモンドオンライン)
・「重要なことよりも、結果が出ることをやれ」 日本交通・三代目社長が、1900億円返済の過程で得た経営哲学とは?
・「暗黒面に堕ちた会社員たち」(安達 裕哉2016/3/10)