大人の考える技術

若林計志が経営・MBAのフレームワークやマネジメント理論を応用しながら、ビジネス・社会問題を考察します

「自由に発言してよい」は建前?ミーティングに見えるグローバルマネージャーの条件

会社のグローバル化について考える際に大変参考になる資料として、「ミーズ日本支社の日本人」という面白いビジネスケース*があります。

(*ビジネススクールで使われる実話に基づくミニストーリーや議論用教材。)

慶應大で作られたこのケースには、米系多国籍企業のミーズ社の日本支社に就職した吉田真紀さんという女性が出てきます。

家族の都合でカナダで幼少期を過ごし、現地の大学を卒業して日本に戻ってきた彼女は、このミーズ社でCultural Gap(異文化ギャップ)に直面します。同社では外資系らしく

「何でも自由発言してよい」

とミーティングのルールが決められているのですが、日本人スタッフが多数を占める同社において、実際には率直な意見が会議で交わされる事がほとんどないことに驚きます。ただ彼女は単刀直入で、論理的な発言を繰り返したことから、メンバーの反感を買ってしまいます。

そして最後には彼女に対する陰口が間接的に彼女に耳にも入ってくるようになり、悩むという話です。

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通常はこのケースをベースに教室でディスカッションするのですが、こういう事例は別に帰国子女に限ったことではありません。

グローバル化を意識して欧米式の議論型授業スタイルを取り入れた大学の学生が”伝統的”な日本企業に就職し、多かれ少なかれ同じような苦労をしているといった話は良く聞きます。

ここで重要なのは、日本企業が本当にグローバル化していくときには、おそらく吉田さんや上記の学生のようなジレンマを抱える社員が大勢でてくるという事です。

例えば、日本企業が海外に進出するときにはリクルートのために

「ウチの会社はオープンでフラットです」

「いろいろな事にチャレンジできる環境があります」

といったアピールをして、優秀な人材は確保しようとするはずです。

(実際、社長などの目線が高い人も、社内のグローバル化を推進するためにそう主張するでしょう)

ただし、何も具体的な策を講じなければ、前述の吉田真紀さんのようなギャップに悩み、数年で離職してしまうようなことが現場で起こるのです。(実際、日系企業離職率は高いのです。)

ではなぜ「何でも自由発言してよい」と言いながら、実際はそうではないという事態が起こるのでしょうか?

この謎を解く一つの鍵にオランダの学者、ホスフテッドの研究した文化間指標があります。

ホフステッド指標

として有名なこの指標によれば、日本は

「不確実性回避」(曖昧なものを避ける)

「権力格差」(権力の強い人と弱い人の差が大きい)

集団主義」(集団でモノゴトを決定したり行動する)

の傾向が強いという結果が出ています。そうだとすると

会社の会議において

<個人が、ポジションが上の人に向かって、新しいアイデアをぶつける>(←社員視点)

<部下が、上司である私に向かって、対等な議論を挑んでくる>(←上司視点)

というのは、そもそもあまり日本に馴染まないのです。

(だからこそ、ホンダの「ワイガヤ会議」のような組織文化づくりや仕掛けが必要なのですが。)

ちなみに私は、何が何でも欧米式の議論をするのがいいと思っている訳ではありません。例えば武道の世界では、師匠と弟子というはっきりとした立場あり、四の五の言わずにその関係の中で言われた通り練習した方が早く上達しますが、マネジメントの世界でも同じように、初歩的なルールは丸呑みして受け入れた方がうまくいく場面も多いのです。

また外資系は意志決定の階層制やレポーティングラインがむしろ日本よりしっかり決まっており、対等に議論したからと言って、それが全部受け入れられる訳でもありません(当たり前ですが。)

ただし、議論をハナから「権力格差」や「集団主義」で封じ込めるやり方をやり過ぎると、そのうち「指示待ち」社員ばかりになって、新しいアイデアが生まれてこなくなってしまいます。

少なくとも、日本人としては、自分の価値観がユニバーサルでもなんでもなく、「不確実性回避」「権力格差」「集団主義の傾向が強いんだということを意識するだけでもかなり違うはずです。

例えば、新人から異論が出てきても、自分を客観的に見ることが出来れば、無意識に湧いてくる

「新人のお前に会社の何が分かる」

「そんな生意気なことをいうのは10年早い」

といった感情をぐっとこらえて冷静に話が聞けるようになります。

実際「権力格差」が少ない国に駐在すると、日本のようにはポジションパワー(権力パワー)があまり効かず、ゼロではないにしても、よりマネジメントの正当性(正当パワー)が問われるので、慣れないうちは参ってしまう方も多いようです。

逆に日本より「権力格差」が強い国に駐在し、部下が何でも黙っていうことを聞いてくれるポジションにいるとマネジメントは楽です。ただし、そのこの事に安住してだんだんと傲慢になってしまい、最後に逆ギレされて危険な目に遭う(命の狙われる)というケースもたまに聞くので、その辺りは要注意です。


最後にAさんのエピソードをご紹介します。

Aさんは留学生として来日し、日本の大学院卒業後に、某外資系企業でトップを務めた方が作った会社に入社しました。

その会社では(ミーズ社と同様に)「ミーティングでは何でも自由発言してよい」というルールがありました。

Aさんはそのルールに沿って、社長を含め誰にでも率直に意見を述べるようにしていました。外資系が長い社長にとっても、それはごく当たり前の事でした。その一方で経営幹部たちは自分たちに事前に根回しをせず、単刀直入な発言をするAさんの事を苦々しく思っていました。

結局、Aさんはミーティングで発言するたびに、「空気が読めない外人」といった扱いをされ、最後にはストレスを溜めて転職してしまいました。

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(解説)

「権力格差」が大きい日本を「当たり前」として過ごしてきた人は、無意識にポジションが高い人(権力を持っている人)の前では萎縮してしまい、過剰に奉ってしまう傾向があります。(もちろん社長もドメスティックな人物ならそうする方が無難ですし、だからこそ「ニワトリ会議」が行われるのですが。)

ところが社長は長年「権力格差」の少ない外資にいたので、部下が自由に意見を言うことについてはむしろWelcomeであり、Aさんにとっても社長と対等に話そうとするのはごく自然な事だったのです。

ところが経営幹部の感覚からすれば、それは(日本の)常識を無視した許されない行為であり、思わず「生意気だ」と思ってしまったり、屈折したジェラシーを抱いてしまう結果になってしまったのです。

意外とこういった日常のシーンで起こるドメスティックな感覚を乗り越えるためのヒントを提供する事こそが、グローバルマネージャーを育成するという事であり、真のグローバル化ということではないかと考えています。