イノベーションの重要性が叫ばれて久しい。あらゆる市場がレッドオーシャンに染まり、利益を出すのが難しくなっている市場で、新しいバリューを訴求して、ブルーオーシャンで戦いたい、という思いはどこでも同じだろう。
しかし(当たり前だが)企業の業績を劇的に改善し、世の中にインパクトを与えるようなイノベーションはなかなか出てこない。
では、イノベーティブなサービスや製品を世に送り出している企業は、どんなプラクティスを行なっているのか。それを今回は「交渉術」という観点から紐解いてみたい。
交渉術は、一般的に価格交渉をはじめとする「駆け引き」のイメージが強いが、本質的には
「利害が一致しないステークホルダー間でのコンフリクト(対立)を解消するためのコミュニケーション」
である。
したがって「調整」という名の社内交渉をはじめ、ビジネス、プライベートのあらゆるシーンで交渉が行われている。もちろんイノベーションを巡るマネジメントも例外ではない。
多くの場合、本当にイノベーティブなアイデアほど、社内外でコンフリクトを引き起こす。なぜなら、新しく提示されたコンセプトは、いままでと全く異なるパラダイムを提示し、時には既存のビジネスのやり方を全面否定してしまうからだ。
詳しくはハーバードのクリステンセン教授の「イノベーションのジレンマ」シリーズに譲るが、イノベーションが生まれない理由を交渉的に捉えれば、アンチイノベーション派が、イノベーション派との交渉に勝利してしまっているのである。
イノベーションのジレンマ 増補改訂版 (Harvard Business School Press)
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もっといえば、イノベーティブなアイデアの種は絶えず生み出されているにもかかわらず、交渉の結果によって、その芽が摘まれてしまっているのだ。
そして皮肉なことに、そんなイノベーションのタネが、回り回って他の企業で花咲くことはよくある。
3DプリンターやE-Inkをはじめ、原理や仕組み自体は日本企業がつく出したにもかからず、外国企業によって大きく躍進した技術は枚挙にいとまがない。
●イノベーションの芽を摘んでしまっている
では、なぜ多くの組織で、イノベーション派は交渉に負けてしまうのか?
端的に言えば「イノベーティブなアイデアを採用する意思決定をする」より、「それを否定する(もしくは時期尚早だと保留する)」の方がはるかにリスクが低い仕組みになっているからである。
イノベーションを起こすようなアイデアの成功確率は決して高くない。したがって、はっきりした意思決定を保留した方が、マネージャーとして組織内での勝率が相対的に高くなるのである。
さらに株式会社における資本は株主から預かったものであるため、マネジメントはより確実なリターンを見込める案件に投資する意思決定を常に迫られる。結果として「破壊的イノベーション」よりも、投資効率が予想しやすい「持続的イノベーション」にシフトせざるを得ないのだ。
●目先の対立を乗り越える方法
では改めて「イノベーションを起こし続ける企業」と「そうでない企業」の差を考えるにあたり、その具体的事例として「ヒートテック」を取り上げてみたい。
東レとファーストリテイリングが共同開発したヒートテックは、2003年に発売されて以降、今やユニクロの看板商品として不動の地位を獲得している。世界7カ国で1億枚以上を売り上げ、現在も進化を続けるヒートテックは、間違いない同社のイノベーションの象徴的存在だ。
もちろん、このヒートテックの開発についても、東レとユニクロの間でイノベーションを巡るシビアな交渉が行われている。
ヒートテックは、4種類の異なる糸で作られる合成繊維だが、当初はそんな合成繊維を作ることなど不可能な話だと思われていたという。当時の様子について、
「社内でそんな提案が出てきたら「業界(繊維)の常識がわかっていない」と集中砲火を浴びただろう
と、日覺昭廣氏(東レ代表取締役社長)自身がインタビューで語っている。
しかし、ユニクロはまさにその”夢の”合成繊維を要求してきたため、 「それじゃあダメだ」(ユニクロ側)「できるわけないじゃないか」(東レ側) というやりとりが何度も繰り返され、現場は一時期かなり険悪は雰囲気に陥っていたという。
しかし結局1万回の試作をつくって実験を重ねた結果、「絶対にできない」と思われたヒートテックが完成。世界的な大ヒットとなった。
当時のユニクロと東レの状況を、交渉対立図で示すと下記のようになる。
*この図は制約理論(TOC)の「クラウド」という図解。読み方は(ユニクロ側)「A.衣服で世界を変えるには、C.全く新しいハイテク素材で勝負したい。それならば、D'東レにヒートテック(新しい合成繊維)を作って欲しい」
となる。逆に東レ側を見ていると、「繊維で世界を変えていく」ためには「効率的に開発する(社内リソースを守る)」となっており、矛盾しているのだ。
もちろん「世界変えるためには常識に挑戦しなければならない」ということはイノベーターである東レ側も重々分かっているのだが「現実問題として難しい」という話なのである。
したがってこの交渉は、東レとユニクロの間のものに見えるが、本質はイノベーションへのチャレンンジを巡る東レの「内部対立」(「現実」と「理想」)でもあったのだ。
では両者がこの対立状態を乗り越えられた理由は何か。
現実主義の前に、イノベーションが屈しなかったのはなぜか。それは、両者が考える先は一致していたから。
ユニクロは衣服で世界のライフスタイルを変えることをビジョンとして掲げ、東レも繊維でそれを実現しようとしている会社であったこと。これが両者を強力につなぎとめるボンドの役割を果たしたのだ。
交渉を行う当事者同士にとっての「共通のゴール」を設定できると、両者のスタンスは「対立の関係→問題解決(共通の敵を倒す)仲間」に変化する。
つまり、”あなたはあなた”という「分離」から、”あなたは私であり、私があなたである”という「非分離(運命共同体)」の関係に変化する。
東レ、ユニクロとも「イノベーション」という共通ゴールをお互いに確認し合っていたからこそ、イノベーションをはばく目先の制約条件(現実主義)に屈せず、切磋琢磨するスタンスで、ヒートテックやウルトラライトダウンなどを生み出し続けているのだ。
●イノベーションを生み出す交渉術
イノベーションを巡るステークホルダー間の交渉(利害関係の調整)を見てきが、イノベーションに否定的な見解を持つ現実主義の人々が企業内に一定数存在するのは、むしろ健全なことである。
企業がしっかり足元を固めているからこそ、リスクのあるイノベーションにチャレンジできる訳で、イノベーションだけで企業が安定的に成長するは難しい。
だからこそ、その目先の対立を乗り越え、絶妙なバランスを保つのがマネージャーの役割であり、その行く先を灯台のように照らすのが、企業の存在意義を示すミッションやバリューとなる、
イノベーションを志向する企業は、今一度、自社の存在意義を全社で問い直すことに、対立を乗り越え、イノベーションの生み出すヒントがある。
*本文は、雑誌「経営センサー 2017/4月号」(東レ経営研究所)に掲載されたコラムに加筆訂正したものです。