一橋大学の楠木先生が、「経営センスの論理」を発刊されました。それに関連する日経インタビュー「センスのない人がトップに立った会社は悲惨」で下記のように語られています。
(引用)「昔のかばん持ちや書生という仕組みは、優れた経営者の裏に潜む論理を見るいい機会になっていたと思います。スキルではなく、センスを極めて間接的な方法で伝授していたのですね。」
私も大枠その通りだと思います。拙著「プロフェッショナルを演じる仕事術」でもご紹介した、師匠と同じ空気を吸うという守破離的な学び方をご紹介したのですが、まさにこれは「センス」を学ぶ優れた方法なのです。
ただし「スゴい人のカバン持ちをする」という方法が、必ずしもセンスの伝授にならないケースがあります。
経営センスの論理 (新潮新書) (2013/04/17) 楠木 建 商品詳細を見る |
私が知る範囲で、カリスマを取り巻く人々には明らかに2つのタイプがいます。戦国時代でいうと、一つは「武将タイプ」です。実力はカリスマをしのぐ事がありますが、志を共にしているので、安心して重用しています。こういう人は、カリスマの傍らでどんどん経営センスを吸収し、素晴らしい後継者になったりします。
もう一つは「家来タイプ」。お殿様は彼らに実力があるとも、ましてや自分の後継者にしたいともさらさら思っていません。ただ使い勝手が良いので側に置いているのです。(何かのときは大将を守る捨て石にもなりますし。)
この手の人が
「どうだ、俺はこんなスゴい人の側近だぞ」
と勘違いして、自分がエラいかのように振る舞っているのを見ると
「痛いなこの人。こんなスゴい人のそばで長年何を学んでいたんだろう」
と思ってしまいます。(現実には結構多いような・・・)
だから、日頃から謙虚にしなければ、とよく思います。でもこれって、私も若かりし頃に、派遣社員さんから
「ここって社長が有名だから、そういう対応しているんですか?」
と言われてから気にするようにしているんです。「そうか、知らず知らずのうちに自分も謙虚さを忘れていたか」と気づいた時はショックでした。でも大切な事を学んだ瞬間でした。
それにしても、なぜ「家来タイプ」の人が、カリスマの周りにいるのでしょうか?それを考えるには、芭蕉の
「古人の跡をもとめず、古人の求めたる所をもとめよ」
という言葉がヒントになります。
「古人の求めたるところ求める人」=理想のゴールを求める人は武将として志をともにする同志になり、
「古人の跡を求める人」は、「古人」を神格化してある種、宗教チックに崇拝する方向に向かってしまうのです。小さな違いですが、大きな差です。
古人は乗り越えるべき存在であり、それを目指すからこそ、そこに進歩があるのです。
誤って「家来タイプ」をカリスマ社長の後継者にしてしまった会社が、その後おかしくなってしまうパターンは、もう常識と言ってもいいでしょう。だからこそ事業承継は難しいのです。
▼こちらのコラムもご参照ください。
カリスマの実像を知る(脱「神格化」の学び方)