大人の考える技術

若林計志が経営・MBAのフレームワークやマネジメント理論を応用しながら、ビジネス・社会問題を考察します

スポットで利用できる上級者向けオンライン英会話「スキマトーク」

たまたま昨日と今日、海外とZOOMで繋いで英語プレゼン&QAをする機会があり、しばらくガチで英語を長時間喋っていないので「スキマトーク」を利用してみた。

ここの良いところは2点。

 

1)スポットで利用できる(例えば1時間のみ)

2)高学歴な一般ビジネスパーソンと英会話できる

 

創業者の清水さんとはサンフランシスコでご飯を食べたことがあるのですが、創業の動機は、経営レベルのバリバリのビジネス会話を練習するパートナーが国内でなかなか見つからなかったこと。で、彼自身がMBA留学しながらハイスペックな人ばっかりを集めたオンライン英会話学校を立ち上げたとのことでした。


しばらくは、彼がいたUCバークレースタンフォード卒or現役生・院生などがバイトでゴロゴロ登録していて、なかなか面白いサービスだったのですが、現在はその比率はグッと下がって、英会話学校の先生が多い様子。察するにその理由は3つ。

1)日本は英語初級者マーケットが圧倒的に大きい
2)アメリカの賃金水準が上がりすぎて、時給4000-5000円ぐらいじゃないと先生候補に登録をしてもらえない。(逆に日本はデフレで、上記レッスン料を高いと感じる)
3)Fiverrなどギグワーカー向けのサービスでも同じことができるようになってきた


「安い国」ニッポンというのは、ここ数年よく言われることですが、こういうところにも影響してきているんだろうなあと感じる次第。今回は運良くUCLAのMaster卒の人にプレゼンをサクッと見てもらい、いい感じに肩慣らしできました。

www.skimatalk.com

BATNAが無限にある完全競争市場での交渉

先週行ったエネルギー系企業向けの交渉術トレーニングの声をレビュー中。

相手との長期的な関係を維持することを前提にしている場合には、いわゆる「Win-Win」をゴールとする協調的交渉戦術が基本となりますが、参加者の中には、原材料の国際調達などで、できるだけ早く、安く調達することを業務のKPIとしてしのぎを削る仕事をしている場合もあります。


もし代替品(BATNA)が無数に存在するコモディティの完全競争市場(いわゆるレッドオーシャン)で取引するのであれば、交渉術で解消できる部分は割と少なく、市場は「神の見えざる手」の需要-供給グラフで表される「均衡価格」に近づくのがセオリーと言えそうです。


ただし、市場の参加者間に少しでも情報の非対称性がある場合、アービトラージの機会は常に存在していることになり、BATNAなどを考慮したブルーオーシャンを目指す交渉術は機能することになります。

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3Cとブルーオーシャン

オプション取引など、テクニカルな部分の検討は各分野のエキスパートに任せ、私はファシリテーションに徹することになるのですが、「ビジネス」や「取引」という行為自体は交渉そのものなので、我々は知らず知らずのうちに、毎日交渉していることがよく分かります。

 

意外にベネッセの中学講座の「価格と需要と供給の関係」HPがシンプルに均衡価格を理解するのに便利です。

 

chu.benesse.co.jp

手段が先か、目的が先か? エフェクチュエーションとコーゼーション

経営学界隈で、ここ数年「エフェクチュエーション」という言葉をよく聞くようになりました(初出はもっと古いのですが)。

 

「手段」と「目的」の関係でいうと、エフェクチュエーションが主張するのは「優れた起業家は「手段」からスタートする」という逆転の発想の理論化といえます。(目的から手段を考えるのが「コーゼーション」)


この理論を提唱したのはサラス・サラスバシー教授(バージニア大学)だが、この本の邦訳版の帯を書いているのが、ポーターの対極にいるResource Based View のバーニー教授だから「なるほどな」という感じです。・・・といいつつ私はまだ原著を読んでいないのですが・・!

 

目的か手段かいう議論は、ウォーターフォールか、アジャイル開発といったコンテクストでもよく出てくる古くて新しい議論です。

結論的には、どっちがいいという話でなく、場合分けや、コンビネーションという話になりそうですが、手段好きの私としては、ちょっと深掘りしてみたい理論です。

 

(引用)エフェクチュエーションの対極にある考え方として、イノベーション分野における従来の考え方である「コーゼーション」という思考プロセスがある。コーゼーションでは、まず求める「目的(結果)」からスタートし、「これを達成するには何をすればいいか」を考え、特定の結果を生み出すための手段を選ぶ。未来は不確定なものであるが、できるだけ予測して進めていく。これまでの経営学はこのコーゼーションを主軸に進められてきたため、読者の方にも理解しやすいだろう。
一方のエフェクチュエーションはアプローチ方法が異なる。まず「手段」からスタートし、「これらの手段を使って何ができるか」を問い、可能な限りの結果をデザインしていく。未来は不確定なものだからこそ、自ら影響を与えて変えていこうとする。

 

www.kokuyo-furniture.co.jp

「作業するだけで給料をもらえると思うのは大間違い」発言から考える”レベル別仕事の任せ方”(なぜサラリーマンは「手段」に発想が偏りがちになるのか)

最近なかなか考えさせられるニュースがありました。

いきなりステーキ社長、従業員に喝 「作業するだけで給料をもらえると思うのは大間違い」2022年01月27日17時21分

この記事は、ペッパーフードサービス代表取締役社長CEO・一瀬邦夫氏が社員向けメッセージとして社内報に掲載した文章が外に流出したもので、社長が発したメッセージは下記のようなものでした。

「私は、各店のお客様クレーム一掃に取り組んできましたが、どうやらこのネガティヴ従業員によって大部分のクレームが起こっているようです。『店舗では作業するだけで給料をもらえると思うのは大間違いです。』店舗従業員のあなたの力で何人のお客様がご来店頂けたのかがとても重要なバロメーターです」

一瀬社長としては、従業員に払う給与の原資はお客様が満足して支払った代金なのだから、現場の社員には「作業」ではなく「仕事」をして欲しい(現場現場で考えてベストなサービスを提供してほしい)という、経営者としては、ドストレートな本音をオブラートに包まず発したところ、その書き方がやや辛辣だったか、もしくは悪意を持って引用されたために、ネットでプチ炎上したようです。

 

一人で50以上のアカウントを持っていて意図的に炎上させる「炎上屋」もいるぐらいなので、それ炎上自体は重要ではないのですが、私が面白いと思ったのは、ビジネスパーソンに人気の実名型コミュニティでのリアクションでした。デフォルメして引用すると、8割がこんな感じのリアクションでした。

・作業じゃなくて、何をして欲しいがわからず、具体的な解決策がない。説教だけしているようなのでダメ。

・労働対価とは作業に対して払われるのだから社長が間違っている。言われた通り作業して賃金をは払わないなら、ブラックそのもの。

・社員がネガティブなら、その原因を解消するのが経営者の仕事

さて筆者の興味は「なぜこのように見解に差が出たのか」です。

 

ここでマネジメントとは何なのかを少し構造的に捉えてみます。

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まずマネジメントいう行為は「目的」に向かって、従業員を巻き込みながら(エンゲージさせながら)「手段」を実行し、目的に近づける行為です。もっといえば、最も少ないインプットで、最も大きいアウトプット(目的への接近)ができればできるほど、「生産性が高い」マネジメントということになります。

 

例えば、1億円の売上を上げるために、1000万円投資しなければならない手段と、10万円投資しなければならない手段があるとすれば、10万円の方が手段として優れているのは明らかです。

 

ここで考えたいのは「手段」を実行する人のレベル(仕事の熟達度)です。

 

一般にレベル(熟達度)が高い人は、目的だけを伝えておいて、手段をあまり限定しない方が、独自の工夫や、クリエイティビティが発揮されやすく、モチベーションも上がりやすくなります。

 

上記の例で言えば、手段を指定しない方が、100万円や80万円で目的を実現する方法を創意工夫して考える余白が生まれます。つまり、プロにお任せするときは、素人がごちゃごちゃ作業レベルまで口出ししない方が、プロフェッショナリズムを発揮してもらいやすくなります。

 

逆にレベル(熟達度)が低い相手に、目的だけを伝えても、具体的な手段がわからず困ってしまいます。場合によっては「丸投げされた」という不満にもつながりますし、アウトプットにばらつきも発生します。上記の例で言えば、2000万円かかるイマイチな手段しか思いつかないかも知れません。

 

この辺りの実力差は、クラウドワークスなどクラウドソーシング系のプラットフォームを使うと一目瞭然です。こちらがやりたいことを提示して、クオリティの高いアウトプットを提案できる人=自分の頭で考えられる人は単価も高いのが通常ですし、”作業を指示してくれればやります”タイプの人は、相対的に単価が安いので、マーケットメカニズムがシビアに機能しています。

 

余談ですが、クラウドソーシング系のプラットフォームは、今後どんどん国境を超えてボーダーレス化していくので、ますますこの格差が広まっていくのは間違いありません。またその一部はAIやロボットに代替され、さらにこの動きは加速します。よく暗記教育の弊害が叫ばれる日本ですが、まさに「手段を教えてくれ=答えを教えてくれ」という発想をしているとコスト競争のレッドオーシャンで溺れることになります。

そこから脱出するには、自分の頭で目的からオリジナルな手段を考える能力をトレーニングする以外にありません。

 

ひるがえって、いきなりステーキの店舗スタッフの大多数が単価が安めのアルバイトだとすると「自分で頭を使って」というのは、少し無理筋なのかもしれません。

 

人件費の単価が安い=人材の熟達度が低い人が中心でオペレーションするなら、誰でも一定のクオリティが出せるようにマニュアル化(アクションコントロール)するマネジメントが必要です。

 

●シチュエーショナルリーダーシップで解ける問題

相手の熟達度に応じて、より手段に近い具体的な方法を伝えた方がいいのか、目的を伝えて手段を任せた方がいいのかを選ばないといけないという当たり前のことが、ここで見え隠れしているのですが、経営学好きな方はK.ブランチャードの「シチュエーショナル・リーダーシップ(SLII)」が思い浮かんだかも知れません。

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一瀬社長のメッセージに対して、なぜネガティブな反応とポジティブな反応が出たのかを振り返ってみましょう。

 

仮説として、この記事にネガティブな反応をした方は、無意識に同社のスタッフレベルを「Level1(教示的)」に近いアルバイトとして想定しています。つまり「従業員は手取り足取り教えてあげないと、やり方がわからない」ということを前提にしています。だから、自然に「言われなかったらできないでしょ」というリアクションになります。

 

逆にポジティブに反応した人は、無意識に同社の従業員(バイトを含む)の熟達レベルをもっと上に見ている可能性が高いと言えそうです。自分自身も頼まれた以上のアウトプットを出そうといつも考えている人だったり、実際に経営レベルでマネジメントに携わっている人にとっては、(言い方は別にして)「自分の頭で考えてください」という発想自体はごく当たり前だからです。

 

ここでは便宜的に「従業員マインド」と書いていますが、従業員でも経営者マインドを持って「自分ならこうしてやる」と思いながら仕事をしている人はたくさんいるのは、皆さんご存知の通りです。つまり個人のマインドセットの問題です。

 

●優秀な人に囲まれて働いてきた人が陥る罠

さて、ここで厄介なのは、自分が勝手に置いている相手のレベル(熟達度)に対する前提が無意識である点です。

いわゆる一流企業にいると、相対的に地頭が良い人が集まっており、それなりにマネジメントトレーニングも受けています。もちろん本人もその条件に当てはまります。そんな恵まれた環境では、役職が上に行くほど「目的」に近い指示を部下に出しておけば、部下が勝手に最適な手段を考えてくれるのが当たり前になります。

 

つまり部下が優秀なら、上司は方向性とスピード感だけ握っておけば、それなりに仕事が回るのです。

 

また目的を明確に言わずに、手段や問題点だけを指示したとしても「上司が望んでいるのがこういう目的に違いない」「きっとこういうことをやりたいんだな」と優秀な部下が勝手に忖度して仕事をしてくれるので、楽に仕事ができるようになります。

 

そして、その恵まれた特殊な環境下で機能する「常識」が、どんな条件下でも普遍的で正しいものであるという勘違いが生まれてしまうのです。

 

それがどんな結果になるかについて「あるある話」をご紹介します。一流企業勤めの人が独立してスタートアップを作った場合、初期の頃は、経験ある優秀な人を簡単にはリクルートできません。ところが大企業にいた時と同じ感覚で、バイトさんなどのスタッフに、大企業にいた頃と同じような大雑把なマネジメントスタイルを取ると、多くの場合、自分の期待値と相手のパフォーマンスのずれから、すぐにコンフリクトが発生します。

 

そして、自分の常識の方が、世間一般からずれていることになかなか気づかないが故に「なんでそんなことわからないんだ」「それは相手が馬鹿だからだ。」なとどいうとんでもない結論を出してしまうのです。

 

当然、そのうち、愛想を尽かしてみんなその人から去っていきます。

 

実は私もこの罠にハマったことがあります。それまで優秀な人たちに囲まれて仕事をしていて仕事もスムーズに回っていたので、なんとなくいい気になっていたのですが、30代の頃、その間違いに(強制的に)気付かされました。

 

きっかけは、仕事経験のほとんどない学生上がりの新人が自分の部署に配属されてきたこと。私はいつも通り「こういうことがやりたい」という目的だけ伝えて、手段については「工夫してやっておいて」とほぼ丸投げに近い状態で仕事を任せたのですが、全然仕事が進まないのです。

 

挙げ句の果ては、その新入社員が「若林さんは何もやり方(手段)を教えてくれない」と不満を持つようになり、突然やめてしまったのです。(当時その理由がよく分からなかったのですが、後でこの新入社員と親しかった人に聞いて、何が不満だったか分かりました。)

 

新人や経験が少ない人には、目的を共有するだけではダメで、具体的な手段(行動)もセットで教えてあげないとダメだったのです。(つまり、良かれと思って早い段階からいろいろ責任を任せていた私が、相手にとってはダメ上司に映っていたわけです)

 

●実は上司も上司の「目的」をわかっていない

サラリーマン時代のもう一つの気づきは、上司も、その上の上司の目的をわかっていないケースが結構あるということです。わかりやすい具体例を挙げましょう。

 

ある会社では、役員がいきなり主要な社員を会議室に招集し「今度、保養所を作るからカラオケルームをどこに設置すればいいか考えてくれ」というテーマを与えました。ほとんどの社員は、よく分からないけど、まあどこがいいかなと楽しくディスカッションしていたのですが、ある空気を読まない(?)社員が「ところで、このカラオケルームを作る目的はなんですか?」とその役員に聞きました。

 

一瞬その役員は凍りついたような表情をして、次の瞬間、烈火の如く怒り始めました。

 

君たちがとにかく言われたことを考えばいいんだ!(何か私に文句があるのか)

 

冷ややかな空気が流れ、みんなシーンとして固まってしまいましたが、そもそもなぜこの役員は怒ったのでしょうか。実はその役員も社長の「目的」をまるで分かっていなかったのです。つまり社長を「忖度」して社長に言われた「手段」をそのまま下に伝えただけだったのですが、その「目的」を改めて全員の前で質問されたことで、メンツを潰されたと思って怒ったのでした。

 

ただ、リアリティとして、こういう事が起こるのはしょうがないところもあります。実際「忖度」を要求する経営者はいますし、下手に自分で目的やKPIを設定して仕事をすると、その結果責任を問われることになるからです。逆に目的を曖昧にして手段を実行する=「作業」に終始しておけば、責任を問われるリスクは低くなるのです。

 

またそれなりの大企業では、目的&手段を「考える」上層部と、それを「実行する」現場にファンクションが分かれていることも多いので、与えられた手段をあまり深く考えずに実行することが思考の癖になっているのかもしれません。

 

これについては、下記のコラム(「仕事やってるフリ」ばかりしてた人の話。)が参考になります。

blog.tinect.jp

図解まとめ

今回の解説を図解するとこんな感じになります。

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▼部下に指示した時に・・・・

・結果1になる=理由:相手の熟達度が高い(対策:もっと任せて自由度を与える)

・結果2になる=理由:相手の熟達度が低い(対策:具体的な手段を伝える)

 

ということです。

 

重要なのは、このうまくいったり、いかなかったりする「条件」を明確にすること。

多くの場合、その条件付けは、本人の「無意識」にあるため、たとえば自分が指示した結果として「良い結果」が出ない場合、相手のせいにして怒るという対策をとりがちだということです。ただ(当たり前ですが)怒って熟達度が上がるわけではないで、このリアクションは間違いだということは明らかです。

 

最後にもう一度、一瀬社長はどういうメッセージを発するべきだったのか考えてみましょう。

 

もし実店舗のスタッフの多くが、比較的熟達度の低いバイトが大多数なのであれば、檄を飛ばすのではなく、もう少し具体的な行動や、指示を伝えるべきだったのかも知れません。逆にそれなりに経験があり、将来を嘱望される店長や幹部候補が対象だったのであれば、今回のメッセージはそれなりに効果的だったのかも知れません。

 

つまりメッセージを伝える相手の「前提条件(うまく行く境界条件」を確認することが必要だったのです。(もっといえば、一瀬社長をネットで非難している人も、自分の前提に気づかず、非難しているわけで、二重のズレが起こっています)

 

いずれにしても「人を見て法を説け」がぴったり当てはまる事例だといえそうです。

 

またネットは「前提」が違う大勢の人が見る可能性があるメディアであり、前後文脈を切り捨てて引用することで、わざと炎上させてビューを稼ぐ人もいるので、その辺りをどう考えるかが難しいところ。

いろいろ考えさせられるニュースでした。

「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」で学ぶ「達成動機」と輪投げ実験

うちの子どもが「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」というアニメをアマゾンプライムで見ていたのを横から見ていたのが、これがなかなか面白い。

 

この本はシリーズ累計発行部数350万部という小学生に絶大な人気の本で、Eテレでアニメ化され放映されている。

 

www.toei-anim.co.jp

 

今回見た回は「「最後にわら麩(ふ)」と「負け知らずアンズ」」というエピソードで、近所の将棋道場で、ライバルにどうしても勝てない初老の主人公が「負け知らずアンズ」という駄菓子を手に入れた結果、全部の勝負に勝ててしまうようになる。

 

その結果、一瞬はハッピーになるのだが、結局ゲームが面白くなくなってしまう(→人生に絶望する)という、なかなか考えさせられる話だ。

 

この話は心理学者マクレランドの「達成動機」について思い出させてくれる。

 

人の根本的な動機の一つに”何かを達成したい”という「達成動機(Achievement Motive)」と提唱したことで有名な研究者だが、その動機付けが、どういう時に高まるのかについて、弟子に当たるアトキンソン&リトウィン(Atkinson &Letwin)の輪投げ実験が思い出される。


要は、ゲームは大体50%ぐらいの成功確率の時が、人のモチベーションが最も上がるという話なのだが、今回のアニメの主人公は「負け知らずアンズ」によって、この成功確率を100%にしてしまった結果、ゲームに絶望しまっという解釈できる。


これは人の人生全般に当てはることで、うまくいくかどうかの勝負しているときは、やっぱり楽しいというのは感覚的にわかる。


そういう意味ではチクセントミハイの「フロー」状態(挑戦している課題の難易度と能力が均衡している状態)を自分で作り出している人が一番充実しているとも言える。


さて、果たしてウチの子どもがどれぐらいこのエピソードの深みを理解しているのか、何を番組の教訓として理解したのかは怪しいが、こういうのを題材にして、深掘りする道徳教育とやったら楽しいかもなあと思う。


で、その後に、研究者が、歴史的にこのトピックについて何かを考えて、何を研究してきたかを紐解くような授業をすれば、きっと学問について興味を持つ子供が増えるじゃないかと思う。(ということで、うちの子どもを実験台にしていろいろアプローチをしているところ。)

 

こちらのブログで今回の銭天堂のエピソードがわかる。

amadige.com

 

入管施設でのスリランカ女性の死亡事故のビデオを公開するとどんな保安上のリスクがあるのか?

名古屋入管の収容施設でスリランカ人女性が不可解な死を遂げた事件。やっと調査報告書が出たが、内容がひどい。


president.jp

 

”ウィシュマさんの体調が悪化する中、看守の多くは「仮放免を受けるためのアピール」と疑っていたと報告書は指摘。飲み物を鼻から出してしまった際に、看守が「鼻から牛乳や」と心ない発言をしていたことも明らかとなった。” 

 
で、具体的処分は、佐野局長と当時の渡辺伸一次長が訓告、処遇部門の幹部2人が厳重注意のようだ。なんだこりゃ。

 

「あ。ごめんごめん」程度の処分で済む問題なのだろうか?

 

不法滞在という問題があったことはたしかだが、命まで奪ってしまうのは、それなりの問題(闇)があるということだろう。(念のため調査報告書も読んだが、ほんまかいなという内容)

 

FACTとしては入管施設で2007年以降になくなった人は17人(自殺者5名を含む)。全国の入管施設に収容されている外国人は、おととし(2019年)12月時点で1054人。このうち6か月以上の収容は462人とのこと。


多いのか少ないのかわからないが、20代の頃、スリランカ人にお世話になった私としては、大変申し訳なく、恥ずかしく思う。

 

結局、世論に押された形で、名古屋入管は部分的に監視映像を遺族に公開したようだが、最終報告書に具体的な記述があった「鼻から牛乳」などの部分は、ごまかしきれないので開示したようで、遺族は「人間の尊厳が守られていない」と憤慨している。黒塗りの報告書と同じで、今回非公開だった部分にどんな映像が記録されているのか、なぜ隠さなければならないのかぜひ調査報道してほしい。

 

自民党の川上法相が「保安上の理由で全部見せられない」とコメントしたり、森山国会対策委員長は「慎重であるべきだ」という、全く理由になっていない答弁をしているが、映像を公開するとどう保安上のリスクがあるのか、具体的に説明してほしいものだ。

 

www.sankei.com

学習プログラムが最も効果を発揮するための「3つの条件」

 以前、放送大学の関係者にこんな(失礼な!)質問をしたことがあります。

 

私「放送大学の番組ってペースが遅くて眠くなるっていう人がいるですけど」(じつは私のこと)

相手「ですよね」

私「なんで変えないんですか?」

相「実は見ている人のほとんどは65歳以上のシニアで、今のフォーマットのほうが受けが良いんです」

 つまりメインのターゲットユーザーに対して最適なコンテンツを提供しているということでした。

 

さて先日、先端的な教育をしているメンバーとZOOMでディスカッションしたですが、教育を効果的にするには、抑えるべき3要素がありそうだという結論に至りました。前述の放送大学の話とも関連しますが、3つとは、

 

1)コンテンツ

2)伝え方

3)受け手

 

です。

 

まず1の「コンテンツ」は言わずもがな。2,3が少々まずくても、喋っている内容や対象としていることががめちゃくちゃ面白ければ、やっぱり面白いことは間違いありません。

 

2の「伝え方」もかなり大きく影響します。めちゃくちゃ面白いトピックでも、先生の伝え方によって面白さは”1万倍”以上違います。それを私は実感したのが、高校生の時に通った「代々木ゼミナールサテラインゼミ」でした。

 

勉強とか授業というものは面白くないもの、と思っていたのですが、代々木からLIVE中継される画面に映るカリスマ講師の授業を見て、

 

「学校でも同じ科目を教えているのに、教え方によって、ここまで面白さが違うのか」

と、ちょっとしたショックだったことは今でも鮮明に覚えています。

 

最後の3つ目は「受け手」です。

冒頭に上げた放送大学が好例ですが、受け手の相性と、教える方の相性が合わないと、そもそも学習が成立しません。もちろん多くの人に受けいられやすい喋り方もあるにはありますが、やっぱり普遍的ではありません。「良い授業」が客観的に存在しているのではなく、究極は相性なんです。

 

以上を踏まえ、教育プログラムや、授業を設計するときには、上記の3つを踏まえなければならないのいうのが、いまのところの結論です。