実に15年ぶりにスリランカ(コロンボ)を訪問してきました。その簡単な印象&雑感(まとめ)です。
【はじめに】
15年前はNGOスタッフとして外務省や現地のNGO、財団と連携し、当時続いていた内戦の解決の糸口を探る活動ために現地に滞在していました。紛争は主に北部地域で行われていましたが、コロンボでも自爆テロがたまに起こっていました。
当時、滞在先のゲストハウス前にもよく回ってきていたWall's Icecreamの行商さん(いつも同じ人ではなかったがよく買っていた)が、近所で自爆テロを行って死んだのが印象的でしたが、現在は極めて安全な国です。
また紛争のイメージが強かったので、ASEAN諸国と比べると注目度が低いのですが(*「地球の歩き方」のスリランカ編を売っている書店が少ないことからも分かりますが。)、2009年に紛争が終結してからは
年6−8%
で経済発展しています。その意味では、東南アジアでアーリーステージの投資ができるビジネスチャンスに溢れた国とも言えます。
また
英語が通じること
仏教という価値が共有できる
という意味ではアドバンテージがあります。
*写真は当時滞在していたゲストハウス。当時お世話になった人に会えるかなと思いましたが、改装工事中でした。
(ちなみにここを拠点に活動している間、5名中3名がデング熱に感染。デング熱にはいまでも有効なワクチンがないので、みんな4−5日苦しんだのでした。日本でも数年前、代々木公園でデング熱騒ぎになりましたよね。)
【交通インフラ】
▼自動車
2015年現在は内戦はすっかり終了し、他の東南アジア諸国と同く経済発展モードです。特に道路インフラは劇的に改善されています。2000年は空港から市内に行くまでセキュリティチェックポイントがあり、下道を通って数時間かかっていましたが、現在は日本の資本で建設された近代的な高速道路があり、ETCも使えます。
>「スリランカ初の本格高速道路交通管制システムが運用開始…三菱重工納入(2015年8月10日(月))」
当然ながら市内まで自動車であっという間です。(白と黄色の道路点検車はNEXCOなど日本の会社が使っているものと全く同じなので、ここは日本かと思うほど。)
自動車は日本と同じ左車線(右ハンドル)なので、日本の中古車が多く、「なんとか保育園」「なんとか豆腐店」などと日本語書かれたボロいマイクロバスや軽トラだらけでしたが、現在は日本車はもちろん、アウディやBMWの新車もバンバン走っています。
ただ急増する自動車需要に対して道路キャパが足りなくなってきており、最近(11/20に)政府が輸入自動車に大幅な関税をかける決定をしています(例えば、輸入車には販売価格+50万円、ハイブリッド車には+250万円近くの増税で、今回お世話になった現地ガイドさんはかなりご不満の様子でした)
>【川崎大輔の流通大陸】日本車を求めるスリランカ、中古車輸入政策の変遷
→車を小綺麗にしている人が多い様子だったので、ビジネス的にはオートバック的なカー用品ショップは需要がありそう。
3輪タクシーやTATA製のミニカーみたいなタクシーもいっぱい走っている一方、日本に先行してUber(ウーバー)もかなり普及しているそうで、新旧が混在している感じです。
一方コロンボ周辺の鉄道はほとんど普及しておらず、「世界の車窓から」で出てくるようなボロボロの汽車に低所得層の人々がドアの締まらない出口付近に大量にぶら下がって乗っているような感じです。
→インドネシア高速鉄道案件で日本は失注しましたが、スリランカでは是非頑張ってもらいたいところ。南部はすでに中国製の高速鉄道建設中です。
>「スリランカ初の都市鉄道、月内入札へ 日本勢参画に期待 2015/10/6 12:43日本経済新聞」
大規模なオフィスビルやホテルの開発があちらこちらで行われています。中国資本のシャングリラをはじめ、パキスタンやシンガポール系が多い様子。
またホテルは「超高級ホテル」と「ボロい旅館」の別れており、日本でいうアパホテルや東横イン的なミドルクラスホテルが需要に追いついていないそうです。逆に言えば、そこにビジネスチャンスがあります。
>スリランカ、外国人旅行者数が過去最高 今年の目標200万人達成へ (2015.12.29 08:42)
【アパレル関係】
タイやフィリピンと比べると、ユニクロ、ギャップ、ZARAのような大手ファストファッションチェーンがコロンボ市内にはまだ進出していないようで、ビジネスチャンスがありそうな雰囲気でした。
【携帯電話】
電波は4G LTEに対応しており、iPhoneも普及しているそうです。大手はSri Dialogなど3−4社あるそうです。
タイやフィリピンのような携帯端末やITガジェットを大量に売っている外国版秋葉原みたいな店はあまりない様子でした。(ショッピングモールのMajestic Cityの隣には「ラジオ会館」みたいな小さい市場ありますが。)
【家電/コンピューター】
日本の家電はほとんどなく、地元のSINGERやAbans、韓国勢(LGなど)が相当部分を占めています。パソコンはASUSがやたら幅を利かせていました。
【日本とのつながり&歴史】
スリランカは1948年に独立しましたが、それまではポルトガル→オランダ→イギリス(東インド会社)など長らく列強の植民地でした。イギリス時代に南インドから紅茶プランテーション等の管理をさせるために南インドなどからタミル人を連れてきて”手先”として使っていたため、第二次世界大戦後にイギリスが手を引いた後、もともと現地にいたシンハラ人の怒りが爆発します。
戦後タミル人の選挙権を剥奪し、人権侵害を含むあらゆる面での政治的圧力を強めたため、タミル人側も怒りを募らせ、分離独立を叫ぶようになりました。その中心的存在がLTTE(タミールイーラム解放の虎)で、大規模な軍事活動を行い、シンハラ人政府との交戦状態に入りました。(2009年に終結)
詳しくはウィキペディアなどに譲るとして、紛争の原因の大きな要因の一つはイギリスの統治です。植民地経営のおいて、現地で暴動が起こって自分たちが殺されれては大変なので、少数民族を使って間接的に現地を統治させるというやり方がよく使われました。
「イギリスなど列強が戦後の紛争の火種を作った」という意味ではパレスチナ問題や、現在のイスラム国の問題も似ているところがあります。
【日本とスリランカの関係】
実は戦後の日本はスリランカなしにはありえないぐらいお世話になった国です。第2次世界大戦で敗北した日本に対して、アメリカ、ソ連、イギリス等は日本を分割統治する案を持っており、さらに懲罰的賠償金を請求する予定でした。
そんな動きに「待った」をかけた2つの国があります。一つはインド。「東京裁判」において同国のパール判事は国際法に照らし合わせて日本の無罪を強く主張した人物です。
もう一つがスリランカです。ジャヤワルダナ蔵相(その後第2代大統領)は国連で、
「憎悪は憎悪によって止むことはなく、憎悪をすてることによって止む」
という仏陀の言葉を引用して、対日賠償請求を放棄する演説行いました。結果的にそれが多くの国連参加国の支持を受けたことで、国連の中心的な役割を担う大国は、大手を振って「国連のお墨付き」の懲罰的賠償金を請求することができなくなったのです。
余談ですが、今回お世話になった現地ガイドさんは、ジャヤワルダナ蔵相は当時の政策決定者ではなく、初代大統領のD. S. セーナーナーヤカが実質的な功労者であるという話をしていました。
戦後、吉田茂はスリランカに対して最大の感謝の意を表し、手厚くODAを拠出することになります。
こちらも余談ですが、第1次世界大戦後に連合国はドイツに対して国家予算の20倍という懲罰的な賠償を請求しました。これはイギリス政府に資金を貸し込んでいた金融王J.P.モルガンJr.が政府に圧力をかけた結果であることはよく知られています(NHK「新映像の世紀 第1回」で詳しく説明されています)
結果的にこの賠償金請求がドイツ経済を破壊し、国民の憎悪と怒りの中からヒトラーが生まれるわけですが、同じことを戦後の日本にしようとしていたのも驚きです。
【紛争の終結と中国の影響】
日本やノルウェーを含む国々や赤十字、NGOなどが和平に関わっていたのですが、膠着状態が長らく続いていました。そのような紛争解決に最も影響があったのが中国です。同国はシンハラ政府に資金と武器(戦闘機などを含む)を潤沢に供給し、LTTE殲滅を強力に後押ししました。
結果的にLTTEは壊滅し、2009年に紛争は終結する訳ですが、そのプロセスでは詳しく書くのを憚られるような凄惨な大量虐殺、虐待、略奪が行われており、その中には非戦闘員(女性子供)も多数含まれています。
このような解決方法の歴史的な評価は分かれますが、スリランカが平和を達成し、経済発展の軌道に乗ったたことも真実です。当然ながら、スリランカの中国への感謝は大きく、(親日家は多いものの)日本はすっかりお株を奪われた感じです。
今回の滞在中に読んだ現地英字新聞(Daily News)の政治欄にも、国会議論の中で与党議員発言として「アメリカ、中国」を紛争終結に貢献した国としてあげており「日本はないんだなあ」と感慨深く読んでしまいました。
2000年当時は、LTTEに対する抗戦派のチャンドリカ・クマラトゥンガと懐柔派ラニル・ウィクラマシンが大統領選挙で争っており、あちこちの選挙集会で自爆テロも発生していました。
現在でも同じ顔ぶれがスリランカ政治を動かしており、新聞のトップページでチャンドリカ(女性議員)の顔を見つけて、感慨深いものがありました。
また現地で聞いた話によると、紛争の長期化にはイスラエルが裏で深く絡んでいたそうで、スリランカ軍に武器の輸出や軍事トレーニングをする裏で、LTTEに対しても軍事トレーニングをしていたことが近年明るみになっているそうです。
【中国の思惑と現在】
もちろん中国もお人好しでスリランカを助けた訳でなく、そこには意図があります。中国海軍はアジアからアフリカに連なる「真珠の首飾り戦略」の展開のためにスリランカを連携し、コロンボ港を主要軍港として利用する目的があります。
ホテルから見えたドッグヤードには、中国が整備したというコンテナ運搬施設が見えました。
>「中国製「JF-17」戦闘機をスリランカが購入・・・安価で性能申し分なし」
その一方で中国と協力して2009年に紛争を終わらせ、その後中国資本と一体化して独裁的に開発を進めたラジャパクサ大統領が、その権力を利用して一族郎党で私服を肥やしてきたことはよく知られています。(さすがに国民も怒って、今年初めにラジャパクサ氏は大統領選挙で落選しました。ただ選挙が平和に行われたことは素晴らしいことです)
>「大統領の弟逮捕 スリランカ、前政権の汚職追及 別の弟も調査」
現在は、ラジャパクサ政権時代に強引すすめられたいくつかの大型開発プロジェクトが止まっており、中国にコロンボ軍港を軍港として提供する契約の見直しも図られているとのこと。
【その他】
>「スリランカ総選挙 前大統領、首相で復権目指す 脱中国依存に影響も」(2015.8.18)
【おまけ】
スリランカは外食文化がまだそれほど発展していないためか、タイなどと比べると驚くほど街中にレストランがありません。それでも2000年当時から、2軒の日本食屋がコロンボにありました。
一つは「もしもし」で、たしか立正佼成会の関係者で、スリランカ人と結婚された元お坊さんがやっていたお店です。2007年ぐらいに閉店したそうで、親父さんと再会とはなりませんでした。
もう一つは「さくら」で、高知の料理屋で修行したスリランカの若者がオープンした来年開店30年になる老舗です。こちらは「もしもし」より高かったので、昔はあまり行かなかったのですが、今回はこちらで「HIGAWARI」を800円で食べました。
味はわりと美味しく、スリランカ人で結構賑わっていました。(店内に北島三郎の「祭り」が大音量でかかっており、それが少しうるさかったのですが!)
タイやフィリピンには日本のファストフード店が勢揃いという状態なので、スリランカもこのまま経済発展が続けば、おそらくその手のレストランの需要は増えるはずです。ということで、今から仕掛けておけば、面白い勝負ができるかもしれません。
現在、コロンボ市内の日本食屋はかなり高級な「日本橋」などを含めて5−6軒あるようです。
また全般的に以前のアメリカと同じでコーヒーがうまくないので、スタバ的な店や、ちゃんとしたインスタントコーヒーは今後流行るかも。