大人の考える技術

若林計志が経営・MBAのフレームワークやマネジメント理論を応用しながら、ビジネス・社会問題を考察します

眠たい映像を作らない技術(正しいEラーニングの作り方 その3)

■面白い授業の要素とは

いきなりですが、ちょっと学生時代を思い出してみてください。みなさんは先生のどんな話が記憶に残っていますか?

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先生の授業内容そのものでしょうか?それとも別のものでしょうか?

実はEラーニングを設計する上で、これはとっても大切な問いかけです。

多くの人にとって実際に記憶に残っているのは、授業に関連して(もしくは脱線して)先生が話してくれた個人的な体験談や、授業中に起こったハプニング、などではなかったでしょうか?

もちろん、授業内容自体がしびれるほど面白かった先生もいたでしょう。でもその理由は、先生の授業スタイルがユニークで魅力的だった、話し方が面白かった、などの理由ではないでしょうか?

Eラーニングの黎明期であった2000年初頭には、いろいろな教育機関や会社がこぞって映像教材を作りました。当時のインターネット回線は、まだそれほど速くなかったので、当時はCD-ROMが主流でしたが、そのEラーニング用の映像教材を作る上で、多くの関係者が勘違いしていた事があります。

それは

講義映像には、授業のエッセンスのみが凝縮されているべきだ

という考え方です。集合で行われるリアル授業に比べて、映像は編集が自由です。そこで授業目的に関係ない部分は、後から編集で全部カットしてしまい、授業内容そのものだけの映像を作れば、効率よく勉強できるだろうと考えたのです。

しかし、話はそれほど簡単ではありません。

編集でエッセンスだけを集めた映像は、確かに効率的なのですが、肉汁が抜けてパサパサになってしまったステーキみたいなもので、ぜんぜん美味しくない(面白くない)のです

初期のEラーニングや映像授業は、このあたりがあまり意識されていないために、見ていると

「つまらない」→「眠たくなる」→「修了率が下がる」

という流れになってしまっているものが多数あります。もっとひどいのは、紙芝居風のスライドが次から次へと画面表示され、それに合わせて、無感情な女性の声で、解説が読み上げられるという(恐怖の)Eラーニング教材です。

企業内のコンプライアンス教材などよくこの方式が使われますが、これを面白いと思う人はかなり特殊な人でしょう。


■「リアル」にあって「Eラーニング」にないもの

私がこのあたりの事をはっきり意識しはじめたのは、某有名経営者の講演を、映像教材として使用したときです。私は、その方のリアル講演に参加しており大変感銘を受けたのですが、後で同じ講演を映像で見ると、さっぱり面白くないのです。前述の「肉汁が出てしまったステーキ」と同じなのです。

「なぜ面白くなくなったのか?(パサパサになってしまったのか)」

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その理由はほどなくして、分かりました。その 経営者が語られていた「余談の部分」が全部カットされていたのです。「余談の部分」とは、起業に至る過程でご本人が精神的に葛藤されたことや、ご家族のこと、不思議だと思ったことなど、その人自身の人間性が見えるエピソードや、やや精神的なことを語られた部分です。

技術上の問題で仕方がないのですが、規格フォーマットに従って90分の授業を60分に編集した際に、「余談の部分」は本編に関係ない話としてカットされてしまい、「経営の技術的な側面を語られた部分」だけが残されたため、面白さが半減したのでした。

また、スタジオで講師の講義映像を作る際にも、打ち合わせ部屋での話がメチャクチャ面白いのに、映像になった瞬間に、面白くなくなってしまう事があります。

それは「余談の話」、そして以下に説明する「ここだけの話」をすべてカットしてしまうからです。

■「ここだけの話」が聞きたい

どうして、現在のように映像技術が発展し、何でもかんでもテレビやネットで見られる時代に、人はわざわざお金を払って、講演会に行くのでしょうか?

そのひとつの理由は

「ここだけの話」

を聞きたいからではないでしょうか?リアルの講演会では、本や雑誌に出ないような裏話や、グレーゾーンの話が聞ける事が結構あります。その後の懇親会が目当てで参加する方もいらっしゃるぐらいです。そして、この「ここだけの話」こそが、最も重要であり、講演者の言いたい事の核心(本音)だったりする事がよくあるのです

ただ、この「ここだけの話」は、不特定多数の人を対象にするEラーニング用の映像ではばっさりカットされてしまうか、講師の方でリスクを回避するために自己抑制してしまうのです。(私が自分自身で映像講義を撮影したときも同じでした。汗)

■「肉汁を保つ」ためにすべきこと

認知心理学者のブルーナーは、人間が何かをよく理解するには、

パラダイムモード」(論理思考)

「ナラティブモード」(ストーリー思考→感情を刺激)

が相互補完的な役目を果たしていることが必要だと言います。教科書的に情報を整理整頓して並べたものが「パラダイムモード」だとすれば、先生の余談や話の組み立て方の工夫は「ナラティブモード」なのです。(池上彰さんはその点でさすがプロといつも思います。)

聖書などが箇条書きではなく、ストーリーとして書かれているのはまさに「ナラティブモード」の伝達力を意識しているからだと考えられますし、最近は脳科学の進歩によって、モダリティ(五感を指摘して得た経験)が記憶の定着に、有効だということも分かっています。

つまり、パラダイムモードだけではダメなのです。

幸いながら、最近のインターネット映像は視聴者を特定することも可能ですし、映像をダウンロードさせずに消す事も可能です。その意味で、「ここだけの話」を、インターネット上で提供できる環境はだんだん整備されてきています。

そのような技術的な問題が解決されれば、Eラーニングはまた新しい可能性に向かって進むでしょう。またすでにそこの部分を配慮し、冗長ではなく、かつそれなりにキレがあり、そして面白い映像講座もどんどん出てきています。(「真面目にやらねばいかん!」と思いすぎている教育機関は、”余談カットの罠”からなかなか抜けられないのですが。)

もちろん学習者の対象年齢に合わせて映像の構成は変える必要があります。

例えば、私自身は高齢の先生が出てきて画面でゆっくりしゃべるっているのを見るのは苦手ですが、シニア層向けの生涯教育用の映像であれば、むしろそのようが信頼感を持たれるも知れません。

■「映像」を売るのではなく「体験」を売る

ここまでお分かりいただける通り、余談は価値あるストーリーを含んでおり、物事を伝えるときの大切なエッセンスなので、講義映像からあまりカットしない事が重要です。

この辺りを意識して映像講義を作れば、面白さは数倍アップします。(少なくとも眠くはなりません!)

そしてその先にあるのは「無料化の波(フリーミアム)」です。すでに、世界の一流講師のプレゼンが無料で見られる「TED」や「YouTube」、映像を含め一流大学の講義を無料でオンライン受講できる「MOOCS」など、Eラーニングは急激に無料化の方向に動いています。

その意味で、E-ラーニング映像」と「リアル講義」の関係は、「CD」と「ライブコンサート」の関係に近いものになるでしょう。

ご存知の通り、iTunes Music StoreApple Music)に代表される音楽ダウンロードサービスでCDの売り上げは減少し、単価も下がってどんどん無料に近づいています。その一方で、ライブコンサートは相変わらず人気があります。なぜでしょうか?

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それは、部屋でCDを聞いているだけでは味わえない興奮や感動、一体感がそこにあるからです。

一橋大学楠木建先生は

「CDはライブを満喫するためのアイテムという位置づけになるのでは」

と分析されていますが、これは言ってみれば、「モノ」から「コト(体験)」へのシフトです。

私は、まさにこれと同じような事がEラーニングで起こると考えています。

CDに当たるのは「映像講義」です。では、「ライブ」は当たるのは何でしょうか?

これこそが、動画講義に基づいて行われる教室セッションやセミナー、オンライン上で議論するEラーニングを含めたブレンド型学習、つまり「反転学習(Flipped Classroom)」です。そして、そのコアにあるのは喜怒哀楽を伴う「体験(Experience)」の提供です。

つまり人は「体験」に対してお金を払う世界にシフトし始めているのです。

したがって映像単体の販売だけでは、今後商売として成り立ちづらくなりますが、その価値を拡大する学習体験のプロデュースには、無限のビジネスチャンスがあります。だからこそ、まずは映像のところでコケないように、細心の注意を払う必要があるのです。


余談ながら、経営者の話が極めてうまく編集されており、現場の臨場感が画面を通じて伝わってくるビジネス番組が多くあります。まさにプロのセンスが問われる世界なのです。

eラーニング映像にそこまでのクオリティを求めるかどうかは別にして、編集ソフトをいじれる技術屋さんに丸投げして、尺に合わせて映像の切り貼りをするのでは必ず失敗します。

「何がエッセンスなのか」を問う姿勢は常に持ちたいものです。