大人の考える技術

若林計志が経営・MBAのフレームワークやマネジメント理論を応用しながら、ビジネス・社会問題を考察します

カリスマの実像を知る意味(脱「神格化」の学び方)

稲盛さんが事業計画の書き方についてビジネススクールの学生に聞かれた時に、下記のように語ったというエピソードがあります。

君は起業したいのだろう? なぜ事業計画書という嘘の作文を勉強しているのだ? 私でさえ見えるのは3カ月先ぐらいで、1年後を予測するような事業計画書なんて嘘を書くようなものだ。そんなものを勉強している時間があったら、さっさと事業を始めればいい。始めてから考えれば良い。資金を集めるためにどうしても必要ならコンサルタントに書かせればいいじゃないか。君がやることは、すぐに事業をスタートすることだ」(「松下幸之助、稲盛和夫…成功者のエピソードには嘘が多い?成功は偶然、事業計画書は嘘」)

もちろん、ビジネスプランが全く不要だというのが本意ではなく、「行動せよ」というのが稲盛さんが本当に言いたいことだと思いますが、実際のカリスマ経営者は、結構ストレートにエッセンスだけをおっしゃったり、キツい言い方をします。

私もビジネススクールの運営という仕事上、多くのカリスマと呼ばれる人たちからお話を聴いたり、そういう人の元で働いたりした経験がありますが、

「本を読んで持っていた印象とぜんぜん違うな」

と思ったことが何度もあります。多くの場合、彼らは周囲の人々によって完全無欠の聖人君主のように祭り上げられ、ちょっとしたエピソードが誇張され、だんだんと「神格化(伝説化)」されています。

ポイントは、本人が望んでそうしているのではなく、周りが祭り上げるという事です。(さらに一部の人は宗教化して崇拝する事も!これはキケン。)

ところが、ずーっと近くにいれば、アラも欠点も見えます。ちょうど白鳥が水面を滑るように泳いでいるようでいて、水面下で足をバタバタさせているのが見られる訳です。

私なんかは、そういう影で努力したり、苦悩する姿こそが、実に人間的で、本当の人物像に近いと思うのですが、そういう人間臭く欠点だらけのカリスマ像が語られることは稀です。

というのは、本人は結構気にしていないのに、周りの人がかっこ悪いエピソードを過剰に隠すこと、

カリスマに憧れる一般の人も、欠点だらけのひとりの人間のとしてカリスマ像を見たいかと言えば必ずしもそうでもなく、むしろ一点の疑いもなく「自分が憧れるにふさわしい完璧な人であって欲しい」という一種の「願い」があるからです。(つまり、実像ではなく、自分の理想とする虚像を見続けたいのです。)

例えば、「経営の神様」と言われた松下幸之助さんについて、当時の松下電器の副社長が語ったというこんなエピソードがあります。

すでに現場から退かれていた幸之助が、久しぶりに奥様と新幹線で旅行に行くことになりました。新大阪から博多まで行くことになったのですが、新幹線に奥様と乗り込むやいなや、奥様に『君は反対側に座りなさい』と言われたのです。

幸之助は右側の窓側の席、奥様は左側の窓側の席に座りました。せっかくの旅行なのに離れ離れに座ったのです。そして幸之助は奥様にこう言いました。『これから、窓から見える松下電器の看板の数を数えてくれ』。新大阪から博多までの間、新幹線の窓から見える松下電器の看板を数えろ、というのです。奥様は文句も言わず、それに従いました。

博多駅に到着するなり幸之助は奥様が数えた看板の数と、自分が数えた看板の数を確認しました。そして、すぐに本社の広報担当役員に電話をしてこう言ったのです。

『君、新大阪から博多まで、新幹線から見える看板の数はいくつだ?』

この質問ほど怖い質問はありません。この後、担当役員に雷が落ちたのは言うまでもありません。

 一般の方が信じている神様・松下幸之助ではなく、私は結果を追い求める商売人・松下幸之助の印象として記憶しています」

(「松下幸之助、稲盛和夫…成功者のエピソードには嘘が多い?成功は偶然、事業計画書は嘘」)

幸之助さんが短気でよく会議で怒鳴り散らして灰皿を投げたりしていたというのは、幸之助さんの奥さんの視点から書かれた「神様の女房」などで紹介されていますが、それほど知られた話ではありません。なぜなら、松下幸之助から学びたい人は、そんなエピソードを聞きたくないのです。

ある人から

『カリスマから学ぶときは「自伝」と「評伝」の両方を読め』

といわれたことがありますが、まさにその通りだなと思います。(もっといいのは弟子入りして表も裏も見ることです)

少し余談ですが、「大前研一 敗戦記」という本があります。

日本の戦略コンサルタントの元祖であり、名だたるグローバルカンパニーやマレーシアなどの国家アドバイザーなどとして世界に名を馳せる大前氏が、なぜ都知事選(程度)で負けてしまったのかを自己分析しているのですが、非常に興味深い一冊です。

特にいつも勝ち気の大前氏が、等身大の自分を語っているので、自伝的ながら、評伝的なところも多分にあり読むに値する名著です。

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実際、カリスマ経営者から学んで自分も成功しようというなら、神格化された「虚像」ではなく、人間くさい実像を知らないと確実に失敗します。

これに関して、東大で社会人の学びについて研究されている中原淳教授が「(修行をする際には)師匠を見るのではなく、師匠が見ているものを見る」というコラムを書かれています。

「そして「師が見ているものを見る」とは、「今の師が、見ているものを見つめ、師が何を"よい"と思い、これから未来に向けてどういう方向に自らを発展させようと思っているのか」を想像しながら、己の稽古・自己研鑽をつめということなのかな、と思いました。」

(「弟子は師匠を見てはいけない!? : 仕事の価値軸をつくることの意味」より)

これは松尾芭蕉

「古人の跡を求めず 古人の求めたるところを求めよ」

という言葉にも通底しますが、師匠やカリスマを尊敬しつつも神格化せず、その存在をいつかは乗り越えて、自らが彼らが求めたる所を求める姿勢(気概)を持つ事が大事だなと思います。それこそが進歩ですね。

実はカリスマと呼ばれる人も、過去に師匠を乗り越えようと努力してきたというケースが多いのですから。

(参照:「守破離」の作法

PS

私にもいわゆる「カリスマ」と仕事をした経験がありますが、よほど信頼している人でもない限り、やっぱりいいエピソードしか話しません。そんなもんですよね。