オフィスに置いてあった「致知」のバックナンバーを久々に読み、松下幸之助氏の妻だった、むめの夫人のエピソードを発見した。松下幸之助もすごいけど、奥さんもすごかったなんだなあと感心。
大正6年、幸之助さんが22歳の時に電燈会社を辞め、ソケット製造の仕事を始めます。
しかし、まったく商売が分からず、売れない日々が続きました。
嫁入り道具として持ってきた指輪や着物を質入れして事業資金を調達していましたが、それも底を突き、ある時、風呂に行くお金もなかったといいます。
「当時はお風呂代が確か2銭だったと思いますが、その2銭がなかったのです。
主人は一日中、仕事場で没頭して、体は汗だらけ、汚れてしまっているわけです。
ですからどうしてもお風呂へ入らなくてはならない。主人は手拭いを持って『これから風呂へ行くからお金を』と言うのです。
その時、私は『お風呂代がない』とは言えません。主人にそんなことで心配させるのは悪いと思って……」
この時、むめのさんは「どうも調子が悪いから一度あなたに見てもらいたいといわれている品物があるのですが」と言ったそうです。
すると、幸之助さんは手拭いを放って、その品物を触り出し、お風呂に行くことも忘れて没頭してしまったといいます。
その間、むめのさんはお湯を沸かし、幸之助さんの仕事が終わった頃に
「きょうは遅くなりましたから、お風呂に行くのをやめて、行水でもしたらどうですか。ちょうどお湯も沸いていますし、捨てるのがもったいないので……」
と言って、その場を凌いだそうです。
夫に生活のことで心配をかけてはいけない。若き日のむめのさんの健気な思いが伝わってくるエピソードです。
晩年、むめのさんは創業期のことを振り返り、このようにおっしゃっています。
「よく皆さん“ご苦労なさったでしょう”と言ってくださるのですが、私自身は少しも苦労だとは思いませんでした。
“苦労”と“難儀”とは、私は別のものだと思っています。“苦労”とは心のもちようで感ずるものだと思うのです。
ものがない、お金がないというのが苦労だといわれる方がありますが、私はこれは“難儀”だと解しています。
苦労は気分の問題であり、難儀とは別のものではないでしょうか」
かなり脚色はあると思うけど、NHK「まんぷく」(日清チキンラーメンを作った安藤百福さんの話)をみてても同じように思う。
http://www.chichi.co.jp/i/index.html