大人の考える技術

若林計志が経営・MBAのフレームワークやマネジメント理論を応用しながら、ビジネス・社会問題を考察します

究極は「透明化」:教育にゲームを応用する(正しいEラーニングの作り方 その6)

人を熱中させるゲームの手法を他分野に応用することを「ゲーミフィケーション」と言います。

ゲーム=不真面目なもの(子どもの遊び)

という認識はいまや一昔前のものになり、ゲームの手法を使って集客したり、顧客ロイヤリティを高めるなど、ビジネス分野での様々な応用が進んでいます。

gamepad.jpgゲームは人を熱中させ、いつの間にか特定の世界にのめり込ませます。パチンコや競馬のようなギャンブルも、スポーツも、特定の分野にどんどんハマっていくオタクの世界も、株式投資や不動産投資も、人を熱中させるものには、すべてゲーム的な要素があります。

もっといえば、科学者が実験を繰り返しながら新しい法則の発見を目指すのは「宝探しゲーム」に近いところあり、自動車やロボットの開発も、料理も、子どもの頃のプラモデルづくりのようなものづくりゲーム延長にあると言えます。さらに、恋愛も人生も、大きな喜びやシビアな痛みを伴うリアルなゲームのようなところがあります。

(定年退職したビジネスマンがパチンコにハマるのは、「仕事」というゲームを失ってしまったのを、無意識に埋め合わせているのかも知れません。ある哲学者は「退屈から逃れるための方法を常に探しているのが人間」と言いますが、ある意味で、その解決法となるのがゲームなのです。)

マネジメントの世界では、金銭的な報酬を中心にした「外発的動機づけ」の世界から、満足感や幸福感などの「内発的動づけ」へとフォーカスが移ってきています。

その兆しは一般的な社会でも何となく見えています。一昔前はテレビ番組で「お金持ちの豪邸拝見」的な番組をよくやっていました。家には豪華シャンデリア、ガレージにスポーツカーがゴロゴロみたいな感じですが、最近そういうお金持ちが、憧れの対象というよりは、「イタい人」のように捉えられるようになってきた、と指摘するのはジャーナリストの湯川鶴章氏です。単なる妬みではなく、社会が「そんなにお金があるなら、なんで社会貢献に活かさないのだろう」「この人は幸せなんだろうか」という事を気にする思考にだんだん変わってきたのです。

もちろん今も昔もお金は大切ですが、それと同じぐらい自分を内部から突き動かすようなモチベーション(Drive)が重要になってきているのです。だからこそ「ゲーム」なのです。

教育の世界も例外ではありません・・というより、私は教育こそゲーミフィケーションを最も活用できる分野だと考えています。専門学校も、大学も、社会人向けの大学院も、間違いなくゲーミフィケーションで生まれ変わります。

特にモチベーションの維持がネックになりやすいEラーニングの世界において、ゲーミフィケーションは最も相性のいい存在なのです


●ゲームの要素

ゲーミフィケーションの理論によれば、ゲーム設計において代表的な要素は下記のようなものです。

▼基本

・ゴール(何を目指すのか)

・ルール(ゴールを目指すにはどんな約束事を守ればいいのか)

・デザイン(ゲームの世界観)

・演出(プレイヤーをのめり込ませるための仕掛けやイベント)

▼ゲーム性の設計

・自由度(プレイヤーが自律的に行動するための適度な自由度がある)

・競争と協業(ゴール達成のためには戦ったり協力したりする必要性がある)

・報酬(ステージを進むプロセスで報酬が得られる)

▼導入

・ガイド(ゲームの世界に誘う案内役や、ゲーム場の仕掛け)

・難易度(プレイヤーのレベルと、ゲームの難易度がマッチすると「のめり込み」状態が発生)

見える化(プレイヤーが自分の状況を把握できる)

インターフェイス(ユーザーが使っていて違和感を感じない事)

(「週刊ダイヤモンド」(2013/7/27)P49 のアソビエ社のフレームワークより抜粋して一部改変・加筆)

どうでしょう?Eラーニングに応用したら、「ドラクエ」や「ファイナルファンタジー」をプレイするように勉強できる面白そうな学習プログラムが出来そうだと思いませんか?今回の「正しいEラーニングの作り方」コラムシリーズで、何度も触れていますが、

・遠隔教育(Eラーニング)で終了率が低い

・受講生の参加率が低い

などの問題が発生するのはゲーム的な設計が弱いのです。もちろん各分野が本質的に持っている「学問的な面白さ」によって、設計が少々マズくてもうまく行くパターンはありますが、そうであっても設計がよければ、もっともっと価値ある学習体験を提供できるはずなのです。

●「透明化」が最終ゴール(ゲームはマネキン)

ここで重要なのは「ゲーム」はあくまで”手段”であって”目的”ではないという事です。いわば、プレーヤーを目的地に運ぶためのハコのようなものです。

これをマネキンの例を使って説明します。

マネキン業界のトップメーカーに「吉忠マネキン」という会社があります。同社の吉田社長が「カンブリア宮殿」でこんなことをおっしゃっていました。

マネキン

マネキンの目的は、マネキンが着ている服を見せる事です。だからマネキン自体が目立ってはいけない。目立たないようにするには、マネキンの完成度が高くないとダメなんです。ダメなマネキンほど、服よりマネキンの方が目立ってしまう。だから本当に良いマネキンというのは、お客さんの視界に入らない透明な存在なんです

なるほど!と私は叫びそうになりましたが、まさにゲーミフィケーションにおけるゲームの存在も、このマネキンのようにあるべきだと思っています。

下手なゲーミフィケーションの活用は、プレイヤーに

「なーんだ。これって下手なゲームみたいなもんか」

と設計者の意図が見抜かれてしまい、シラケてしまいます。

例えば、ディズニーのサンキューカード(素晴らしい働きをしているクルーに対し、マネージャーが評価カードを渡す)をマネして、同じような仕組みを導入したところ、わざとらしい評価ポイント稼ぎ自体が横行して、本来の「顧客満足度アップ」という目的が忘れられて暴走したり、

「そんな子供騙しみたいなポイント稼ぎなんてアホらしくてやってられるか」

とベテラン社員のやる気を落としたりするようなケースが失敗例に当たります。

一般的に、高度な業務になるほど、社員にとって仕事で成果を上げる事自体が報酬になるのが望ましい状態です。(京セラの稲盛氏いわく”仕事の報酬は仕事!”)

すでに自分で自分の仕事をゲーム化してブラッシュアップできるプロフェッショナル社員に対して、外部から提供される質の低いゲームの存在は邪魔者以外の何ものでもないのです。

むしろマネジメントに求められるのは、プロが仕事に没頭しようとするのを邪魔する要素(ノイズ)をできるだけ下げる事です。

同じようにEラーニングの学習プログラムにおいても、「ゲーム」の存在自体が受講生に目立ってしまうのは、まだまだ完成度が低い事を意味しています。ゲームはばっちり機能していても、それが意識されないような「透明」な存在になる必要があるのです。

そして、レベルアップに従って、受講生が自分でゲームをカスタイマイズしたり、新しいゲームを自分で作って次なる高みを目指すステージまで進む事が出来れば、大成功です。