自分のプレゼンをモーションキャプチャして、アバターで置き換えるソフトが紹介されていた。
アバターをガッキーに置き換えて、動画授業にすると履修率が上がりそうだし、カリスマ講師をキャプチャーし、完コピでペッパーに教室で喋らせると未来的で面白そう。
実際10年後ぐらいには、それがスタンダードになるかもしれない。(ヤマハの自動演奏ピアノを彷彿とさせる)
自分のプレゼンをモーションキャプチャして、アバターで置き換えるソフトが紹介されていた。
アバターをガッキーに置き換えて、動画授業にすると履修率が上がりそうだし、カリスマ講師をキャプチャーし、完コピでペッパーに教室で喋らせると未来的で面白そう。
実際10年後ぐらいには、それがスタンダードになるかもしれない。(ヤマハの自動演奏ピアノを彷彿とさせる)
昨日、東京ビックサイトで開催中の「教育ITエキスポ 2018」に行ってきました。
教育とITがどんどん融合していくのは必然の流れなのですが、
日本ではまだまだ昔ながらの「eラーニング」が主流です。
つまり、
1)アニメーションのスライドを見る
↓
2)理解度チェッククイズを受ける
↓
3)結果を管理部がチェックする
という形式の教育IT(EDtech)です。
もちろん、アダプティブラーニング(回答者の間違え方などによって、出題を自動調整したり分析する手法)などもここに入ってきていますが、まだまだ主流ではありません。
というのも、マーケットボリュームが大きく、商売的には手堅いのは、コンプライアンスやハラスメント、昨今話題のランサムウェア(標的型メールなどのウイルス)に対抗するための知識をミニマムのコストで社内に普及する「知識教育」型のEラーニングだから。
したがって、あまりファンシーな機能は不要で、とにかくバグがなく、セキュアで安いのが良いんです。
ちなみに講演で聞いたのは、
「PC未支給の工場現場社員8千名含む全社員3万名のeラーニング」
というもので、新日鐡住金が、パソコンを持たない工員を含め3万人の社員にどうEラーニングを実施したかというテーマでした。
結論的には、各事業所にiPadを貸し出したり、メールを持たない社員に
返信ハガキ形式でマークシート方式のクイズを郵送したりと、
現場の涙ぐましい地道なご苦労が垣間見えるお話でした。
最近はスマホが普及してきたので、BYOD(Bring Your Own Devise)、
平たく言えば「自分のパソコンやスマホ使ってね」方式がかなり無理のない形で可能になってきました。ただそれもまだまだ業界によるのかも。
ちなみに、弊社で開発中(B版で運用中)の「フローパッド」は
レベル1:知識の普及
レベル2:思考形式の習得
レベル3:知識の活用とアイデアの創造
というカテゴリーの「レベル3」です。
まだまだEdtechのど真ん中ではありませんが、文脈理解やコグティブコンピューティング、AI等々の普及で、絶対にここが主流になる時代が来ると確信しています。
たまに駅員に怒鳴っている人を見かけますが、ほとんどの場合はいい歳をしたオッサンだったりします。
統計によると、鉄道係員への暴力行為で、年齢順のトップは「60代以上」。50代の加害者とあわせると43%以上だそうで、平均年齢がどんどん上がる日本では、近いうちにこの数字が70%ぐらいになるのではないかと思います。
さて、怒ったおじさんが口走る台詞として
「責任者を呼べ」
があります。僕も「上司を呼べ」を含め、何度かこのセリフを言われたことがありますが、そもそのこのセリフが出てきた背景を考察した面白いコラムを見つけました。
コラムの著者によると「責任者出てこい」というセリフは、ちょうど50−50代の方が、「ナウなヤング」だった80年代に流行った言葉とのこと。
その時の記憶が潜在意識に刷り込まれており、頭に血が上った時に無意識かつ骨髄反射的に出てくるのではないかと考察しています。(これを著者は「刷り込み理論」と呼んでいます)
さて、この「刷り込み理論」は拙著「プロフェッショナルを演じる仕事術」(2011年)を読んでいただいたことがある方には ピンとくる話です。
↓一部本文読めます
この本のメインメッセージは
「われわれの思考を無意識に支配しているのは、潜在的に持っている刷り込み(ストーリー)なので、その刷り込みをベターなものに上書き保存しましょう。そのベストな方法が「演じる」ということです」
というものです。 (サマリーはこちら「ビジネスブックマラソン」)」
刷り込みによるセルフイメージってどうしても自分の意思で意識的に変えるのは難しいし、「責任者を呼べ」と口走るオジサンが「俺は誰かを真似している」という健在意識がまったくないように、その存在すら自覚できない場合がほとんど。
拙著の中では「刷り込み」の象徴的な事例として、冒頭で「なぜ取り調べ室ではカツ丼が出るのか」というエピソードを取り上げていますが、これも結論的に言えば、メディアを通じてかつて積極的に刷り込みが行われたからなんですね。
じゃあどうすればいいのか?方法は2つあります。
1)「刷り込み」に気づく
米ベストセラーになったイノベーション発想法を描いた「ハイコンセプト」でこんなエピソードが紹介されています。
モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか (講談社+α文庫)
著者のダニエル・ピンク氏が絵画教室に通って自画像を描くシーンで、著者は先生に指摘されてあることに気づきます。
「自分が絵に書いている唇は、今まさに自分が鏡で見ている顔にある唇ではなく、幼少期に住んだ街の道路脇の看板にあった唇をシンボルにした看板を書いていたんだ」と。
幼少期のビジュアルイメージの「刷り込み」が強いと、目の前のものをそのまま見ることはできなくて、脳の中で過去のイメージを引っ張り出してきて、それに変換しちゃうんですね。
それに気づくことで、ある意味での自己洗脳(刷り込み)をコントロールすることができる訳です。
2)演技する
これは演技でもなんでもいいので、行動を先行させて無意識に「刷り込み」を上書き保存した方が早いという話です。(伝わりにくい場合は、ぜひ本を読んで見てください、汗)
余談ながら、心屋仁之助さんが「どうせ自分は愛される」など台詞を何度も言わせながらカウンセリングしていくアプローチとも共通点が多いなと思います。(カウンセリングも心理学ですから当たり前と言えば当たり前ですが。)
自分の中にどんな刷り込みがあるのかを意識することは、ほとんど不可能かもしれません。であれば、よりベターなものに上書きするべく、自分がなりたいものを「演じてみる」というのは、やっぱりいい方法だなと思った次第。
少なくとも「責任者を呼べ!」と口走ってしまうオジさんにはなりたいくないものですネ。
続きを読む40歳は「もう問題提起している年齢じゃない」
というワードが妙に響いています。エンジニア向けに社員教育をやっている林さんという方のインタビューコラムなのですが、大変共感しました。
それなりに社会人経験を積んでくると、上から言われたことを忠実に実行するだけでな物足りなくなるので、理想を掲げて「提案」したくなります。(「問題提起するだけ」よりはマシですが。)
また、MBAなどでいろいろな会社のケースを分析したり、経営書を独学していると、
「会社は本来こうすべきだよ」
という課題意識がどうしても高くなります(むしろそうならなければ嘘ですが)。
その時点で、自分が経営に近いポジションにいれば、「提案」を実際に実行できるチャンスに恵まれる事もありますが、まだミドルの場合は「提案」が、社内ですんなりと受けいられられることはむしろ稀です。
それどころか会社によってはうるさがられたり、下手をすると「誰かを批判をしている」と曲解されるリスクもあります。(逆に、そういう提案を素直に受け取れる会社はガンガン伸びます)
特に40歳というのは、60歳を定年とすると折り返し地点です。50歳ぐらいから役職定年が始まる会社であれば、もう10年しかありません。
「武闘派」として満身創痍で一生懸命社内で戦って 、仮に45歳で反対派の上司に勝ったとして、そこに本当に意味はあるのか?
「誰それが反対するからこれができない」と文句を言いながら50歳を迎えた時、一体自分に何が残るのか?
そして「我が人生に一片の悔い無し」と本当に言いきれるのか?
その辺りのことをリアリティを持って考えてしまう微妙な年齢なのです。
私自身も、サラリーマン時代は同じようなことを考えながら過ごしました。
現在は人材育成という仕事に携わる中で、クライアントさんの課題を一緒に考える機会も多いのですが、究極的には、自分の事業として自分でリスクをとって何かをやるわけではないので、コンサルの仕事は「提案」にとどまります。(もちろんハンズオンでコミットする場合もありますが、実業と比べれば、リスクは雲泥の差です。)
もちろん、それはそれで社会的な役割を果たしていて、その価値を認めてもらっているからこそ対価をいただける訳ですが、やはり
「そんなに偉そうにいうけど自分でできるの?」
「あんた、そこまでいうなら自分でやってみたら」
というツッコミを入れられると、心を揺さぶられるところがあります。
最近、やや修羅場続きのDeNAの創業者であり、元マッキンンゼーのパートナーの南場さんの著書を拝読すると、まさにそういうツッコミをクライアントから入れられて、起業されたケースです。
起業家精神が高い有能なコンサルタントが、なんとなく(クライアントでもある)事業家や経営者に対して、ある種の「劣等感」を感じているケースは多いので、
「あんたやってみたら」
という言葉が響いちゃうんですね。
私も独立後はそういうツッコミ(というか励まし)をいろいろな人からいただき、
「やっぱり自分で何かモノとかシステムとか、理論とかを作らないとダメだな」
と思うところが多々あり、本格的にシステム開発に着手することにしました。
そこでまず着手したのが、長年課題意識を持っていた「英語学習のゲーミフィケーション化」というコンセプトで、それを「トイクルクエスト」「トイクルヒーロー」という英語学習アプリ(for iOS)で実現しました。
でも最初は本当にしょぼいものしかできない(涙)
RPGで言えば、企業に勤めていたらレベル20ぐらいからスタートできるところが、名も知れぬベンチャーだと本当にレベル1からスタートになります。
現在もシステムを開発していますが、理想が100だとすると、色々な制約で30ぐらいものしかできないんですね。でも、0から1を生み出す作業をするのって大切だなと思います(半分自分を励ますために!)
例えば、子どもに大人気の「アンパンマン」は、戦場をアンパンを持って飛び回り、撃ち落とされてしまう「初代アンパンマン」がなければ誕生していません。
昨年連載が終わった「こち亀」も、5巻ぐらいまではかなり絵のトーンが違いますし(私はそっちも好きですが)、宮崎駿も「ハイジ」や「ぱんだこぱんだ」がなければ、ジブリ作品は生まれていません。
祖業が進化して現在の仕事と全然違っている会社もたくさんあります。
*アマゾン:オンラインブック→クラウドサービス(AWS)やAI、ロケット
*Google:検索エンジン→クラウド、自動運転、宇宙
*ソフトバンク:PCソフトの販売→モバイル、AI, IoTなど
*ブリジストン:足袋の会社→タイヤ製品
*トヨタ:織機→自動車
*セカイラボ:MonsterLab(音楽配信)→エンジニアの海外アウトソース
*ネットフリックス:DVD郵送レンタル→動画配信
自己啓発本でもよく言われることですが、吉田兼好の時代から同じようなことが言われ続けているんですよね。
(引用)
これから芸事を身に着けようとする人はとかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例えはひとつもない。
まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。
そのまま練習し続けていれば、そういう態度をバカにしていた人たちを遥かに超えて、達人になっていく。 人間的にも成長するし、周囲からの尊敬も得られる。
今は「天下に並ぶ者なし」と言われている人でも、最初は笑われ、けなされ、屈辱を味わった。それでもその人が正しく学び、その道を一歩一歩進み続けてきたおかげで、多くの人がその教えを授かることができるようになった。どんな世界でも同じである。
自戒を込めて、恥をかいて実行してみる、体験してみること、がもっともっと必要なのかもしれません。
うだうだと理屈を並べていないで、まずはチップを置いてみること。
そこから何かが始まり、そして点と点が繋がって、最初は想像もしていなかったような新しいものが生まれるかも知れません。
最後に名言。
「世に生を得るは事を成すにあり」
坂本龍馬
ビジネス的なマインドのない人たちに、どう興味を持ってもらうかについて考えさせられるすごく面白いコラムです。
いまや道の駅で商売したり、徳島で葉っぱを売ってガンガン儲けているおじいさんおばあさんは、下手なサラリーマンよりマーケティング的な視点を持っていますし、武器としてスマホやiPadなども駆使します。
なぜならば、売れ行き情報などがリアルタイムで配信されるので、それらのデバイスを使いこなせなないと出遅れるからです。(またおばちゃん達は男性よりも団結力がすごいので、ファミレスでのお茶会からはじまって、LINEなどでもものすごい量の情報が交わされます)
IT音痴だった私の母も商売に使えるからってことに気づいた時から、独学でスマホやLINEやかるーく使いこなすようになりました。
つまり「目的」がはっきりすれば人は変わる(学ぶ)のです。
英語の勉強も同じですが、漫然とツール(手段)を目的として何かを学ぼうとすると大概失敗します。我々の生活は忙しいので、ついつい後回しになるからです。
このコラムのケースですと、地域支援員の人が、
この朝市を通じて(ボランティアじゃなく)具体的な利益を得て豊かになったり、収益で介護サービスを充実するようば成功体験をつめば、問題は解決します。つまりKPI設定を含むマネジメントの問題です。
ただ、そもそも行政サイドに商売的なマインドを期待するのは御門違いなので、学ぶことを学んだらクラウドファンディングなどを使って起業するのが良さそうです。
自分で動いて結果を出せば、山は動く。つまり強制なんかしなくても人が後からついてくるのです。
「私は朝市の業務を行いながら業務の改善を話してきました。最初の半月は、業務を主に実施している地域支援員(行政内での人員)さんと一緒に作業をし、これを変えたらいいんじゃないかと話したりしてました。しかし、地域支援員さんは作業員であり、ビジネスとしての視点を見ることはできず、今までのやり方や業務を変える気がないということに気づきました。それで、本宮行政局の課長・係長と話をしましたが、そこで言われたことは「一切、何も変える必要はない」と言うことでした。地域おこし協力隊で、地域を変える必要はないと言うのです。」
ユナイテッド航空の引きずり下ろし事件が膨大な賠償金で和解したようだが、これは社内の3つの力(「効率性」「イノベーション」「おもてなし」)のバランスのとり方に失敗してしまった分かりやすい事例と言える。
ご存知の通り、多くのエアライン会社はLCC(ローコストキャリア・格安航空会社)の登場によって厳しい状況にある。これは多くの利用者が「価格」を基準にチケットを購入することを意味している。
もちろん、同じような価格ならば、マイレージやサービスレベル、CAのホスピタリティなど選択基準に入ってくるが、価格が圧倒的に安ければ、それが第一の選択基準になってしまうのはある程度仕方がない。
このように「価格」が判断の大部分を占める業界で戦うならば、どうしても価格に最も影響のある「効率性」に偏重した経営をせざるを得ない。
もしあなたがユナイテッドの経営者だったとして、手元にある一定のキャッシュがあり、それを使って最大限の利益を上げることをミッションとするなら、その資金を従業員の「おもてなし教育」に使うだろうか、それとも「さらなるコストダウン」に使うだろうか?
経営者は株主に預かった資本を最も効率的に増やす使命を帯びており、それができなければクビになるので、ROI(Return on Investment/投資回収率)が高い方にチップを貼るのが当然の決定となる。
したがって、この場合の結論は「コストダウン」になる訳だ。
しかしここに落とし穴がある。「効率性」「イノベーション」「おもてなし」「おもてなし」の3つは、それぞれが少なくとも最低限の基準を満たしていないと命取りになってしまうのだ。
価格で圧倒的に勝っていて「ブルーオーシャン」を謳歌していたとしても、他社が同じような価格で戦いを挑んんでくる段階になると、途端に苦しくなる。
ユナイテッドはおそらく、この3つの力のバランスを欠いてしまったのである。
自社の強みは何か?その強みに沿う形で「効率性」「イノベーション」「おもてなし」への資源配分をバランスを決める必要がある。
だが、あくまでバランスなのであって、他に力を入れなくて良いということではないのだ。
久しぶりに米出張だったので、アリゾナ(Phoenix Sky Harbor) 空港からの移動にUberXを利用。
広い空港ターミナルでちゃんとpickupしてもらえるのかなと一瞬不安だったが、Uberアプリに連動しているGoogle MAPのGPS性能がかなり高く、空港にRideShare専用の場所もあり、あっけないほど簡単に乗れました。(その上料金もタクシーの約半額 UberX=エコカー車の場合。)
こりゃ流行るよねー。Uberのタグをつけた自動車があちこちにいて普及率の高さがよくわかりました。
また何気なくアプリを立ち上げると、現在地近くにリアルタイムで動いているUber自動車がたくさん表示されます、(空港の管制官みたいな感じで面白い!)
帰りは朝5:00にホテルを出発しましたが、早朝にもかかわらずUberがすぐにつかまりました(ちなみに深夜料金も自動で設定されるようで、夜検索すると同じ区間の料金が1.5倍ぐらいでした)
アメリカでUberをやっている人の年間平均収入は
約9万ドル(990万円)@New York
約7.4万ドル(810万円)@San Francisco
(平成27年版情報通信白書)
だそうで、下手なサラリーマンより儲かってしまうそうです。
*現地でのiPhoneのソフトバンク→Sprintのキャリア切り替えもスムーズで、日本でダウンロードしていったアプリも当然そのまま使えました。
余談ですが、新興国でもUber系サービス(インドのOlaなどが似たようなサービスが乱立)流行っているのは、旅行者にとってもメリットが大きく、どんどん普及してほしいなと思います。