大人の考える技術

若林計志が経営・MBAのフレームワークやマネジメント理論を応用しながら、ビジネス・社会問題を考察します

DNAは物語で伝えられる>エッケホモ(この人を見よ)

メル・ギブソンが監督した映画「パッション」は、かなり生々しくて一部ショッキングだったが、非常に面白い。

まずシーンは新約聖書に沿って、イエス・キリストユダヤ教の主流派パリサイ人につかまり、ローマ総督に差し出されるあたりから始まる。

当時のイスラエルは、ローマの統治下にあり、ピラト総督が現地に派遣され、この地域を納めていた。また当時はユダヤ教の宗派が群雄割拠しており、パリサイ派の人達は、従者を増やしていくイエスを危険分子とみなしたのである。そこで粛清を図ったのだ。

ただピラト自身はイエスが、政争によってパリサイ人から糾弾されることに気づいており処刑を拒む。

そこで一計を案じて、公開裁判の前にイエスを血だらけの鞭打ちの刑にする。そして、片目はつぶれ、イバラの冠を頭にねじ込まれ、半殺しにされたイエスを民衆の前に見せ「エッケホモ」と叫ぶのである。(映画もラテン語で話されているので、「エッケホモ」といっている。)これでも、この人を処刑したいのかと。

しかし、狡猾なパリサイ人の司祭達は、イエスを十字架刑で処刑することを要求し、ピラトはパリサイ人の暴動を恐れて、しぶしぶ処刑の許可を出すのである。

そこからイエスは、ビア・ドロローサ(悲しみの道)を十字架を背負わされて、ゴルゴダの丘(骸骨の丘)へと歩かされる。

今でもそこは、ビア・ドロローサとして保存されており、聖書に出てくるイエスが倒れた場所や、水を差し出された場所などは、それにちなんだお土産屋などがある。

それにしても、手や足を釘で打ち付けられる場面などは、本当にグロテスクとも言えるほどリアルだ。虫の息になった人間イエスが、苦悩の末に「主よ、この人たちは自分がなにをしているのか分かっていないのだ。」というシーンはかなり印象的である。

十字架が立てられたゴルゴダ丘には、現在「聖墳墓協会」があり、キリスト教徒の最高の巡礼の地となっている。中に入ると、「カソリック」「プロテスタント」「パプティスト」など30以上の宗派がブースを構えている面白いつくりになっている。

私の大学にはハーバードの神学科出身の「死海文書」(旧~新約聖書時代の古文書の総称)のエキスパートのS.クロフォード教授がいて、宗教学で1年ほどその先生のもとで学んだ。また先生の家にクリスマスパーティーに呼んでいただいたりして、よくお世話にあった。

イスラエルにもその先生のツアーで滞在したり、NGO時代もベツレヘム(イエス生誕の地と呼ばれている)にも滞在したので、結構イスラエルとは縁があるかもしれない、と勝手に思っている。

それにしても、なぜ一人の人間が後世にこれほどまでの伝説を生んだのか。聖書に書いてある奇跡が本当はどうかは分からないが、その影響力は本当に奇跡としか言いようがない。

キモは、エスの物語を語り継いだ人がいて、新約聖書という本が作られた事だろう。

企業でもこれは同じ。企業、そして創業者のDNAは、語り部によって継承されなければならないのだ。


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