大人の考える技術

若林計志が経営・MBAのフレームワークやマネジメント理論を応用しながら、ビジネス・社会問題を考察します

シャープとホンハイ(鴻海)の交渉術  「交渉は交渉が成立しないでも良い方が有利」

鴻海によるシャープの買収交渉ですが、最後の段階で偶発債務(将来発生しかねない債務)の問題が出てきて、ごちゃごちゃしましたが、最終的にシャープ側が折れる感じで妥結しそうです。

 

鴻海、30日に取締役会 「シャープ買収案を議論」 (2016/3/28 2:00)

www.nikkei.com

一連の流れを交渉術の観点から見ると、いろいろなポイントが見えてきます。


▼困るのはどっち?

当初、シャープの買収先として名乗りを上げていたのは、政府系ファンド産業革新機構とホンハイです。

 

産業革新機構が5000億円程度の買収金額を提示し、それを見てホンハイが7000億円に価格をつり上げた経緯があり、シャープは買収金額に加え、

 

「現経営陣の続投」
「シャープは解体しない」
「40歳以下の若い社員の雇用は守る」
「銀行に破損をさせない」

 

などの好条件を提示してきたホンハイを最終交渉相手に選びました。
(シャープ側は当初、優先的交渉権は与えていないと否定)

 

ところが、産業革新機構がディールから降り、その後、偶発債務(最大3500億円!)が取りざたされるとホンハイ2000億円程度の買収金額の引き下げを要求。

 

もちろん産業革新機構が今更、もう一度名乗りを上げることはなく、また何もしなければシャープは債務で倒産する恐れもあるので、断わるに断れない状況にあります。

 

メインバンクのみずほや三菱東京UFJもシャープに対する7000億円の融資が焦げ付いてしまっては困るので、ホンハイの提案をむげに断れない状況でした。

 

BATNAと決定権を見抜く

「交渉は交渉が成立しないでも良い方が有利」

 

とはよく言ったもので、15兆円の売上を誇り、シャオミ(小米)やアップル、SBペッパーの受注製造メーカーとしても絶好調のホンハイが交渉上では圧倒的に優位なのは間違いありません。

 

シャープに断られても困らないからです。


交渉術的に言えば、

 

BATNA(Best Alternative to a Negotiated Agreement)

 

つまり、交渉が決裂した時の好ましい第2オプションをシャープは実質持っていない(産業革新機構が勝負を降りたことで失ってしまった)のに対し、ホンハイは、有り余るほど持っているということです。

 

さらに、交渉の本当の「意思決定者」はシャープ経営陣ではなく、7000億円の融資を行っている銀行団であり、彼らを味方につけるために

 

「銀行保有の優先株2000億円の買い取り」

 

を提案した鴻海は一枚上手でした。


▼文化的背景から考えてみる

これについては、下記のハーバード大のコラムがオススメです。

「Getting to Si, Ja, Oui, Hai, and Da」

hbr.org

 

新興国では、交渉の手前でかなりの時間をかけるのが普通です。

なぜなら、お互いに相手が裏切るリスクをかなり高く見積もっているからです。

 

しっかりと法制度が整っている先進国では、契約書さえきちんと整っていれば、契約内容が履行される確率が高い(むしろ施行されなければ賠償リスクが発生する)ので、交渉前のコミュニケーション時間は比較的短いのですが、

 

ドロンして逃げちゃえば行方がわからなくなってしまう国や、賄賂等で法を簡単にゆがめられる国では、契約書自体は、あまり意味がないのです。

 

また契約書は「一緒にやりましょう」というサイン程度であってその後に内容が「調整」されることも珍しくありません。(これを「寝技」と呼ぶ人もますが。)

 

だからこそ、その人の人間性や素性をじっくり知るために中国人同士でもじっくり時間をかけるという訳です。

 

今回の買収交渉でも、そのあたりのポテンシャルリスクをきちんとアドバイスできる人がシャープ側にいたのだろうかとちょっと疑問に思ってしまいます。


*ちなみに、中国との入札競争に負けてしまったインドネシア高速鉄道建設案件ですが、同じような問題を抱えているようです。

 

▼案の定か…日本退け、中国受注の「インドネシア高速鉄道」に暗雲

www.iza.ne.jp

 

最終的に、シャープ側は1000億円のディスカウントで鴻海の買収提案を受け鴻海傘下入りする流れですが、鴻海はまだ態度を留保しています。

 

BATNAは残しておいた方が有利なのですから、当たり前といえば当たり前ですね。

 

ただし、ルノーに買収されて復活した日産やフォードの資本を入れて危機を脱したマツダのような事例もあり、シャープにとってはこれをチャンスに変えられる可能性も大いにあるのではないでしょうか。

雪かきでゲーミフィケーション

こういうゲーミフィケーションは本当に面白い。

 

さらに雪かき労働の対価をAirBnB の宿泊費に変えられたら、どうせ地元でご飯も食べるから地方経済も盛り上がり、雪かきも行われ、その上運動もできてしまう。

 

「交通費+宿泊費無料で、長野雪かき1日ツアー」
とかあったら、結構行く人いるかも(僕は行くなあ。)


「報堂のスダラボと "雪かき"をゲーミフィケーションするIoTデバイス「Dig-Log」を共同開発」

 

www.i-studio.co.jp

 

英語はエリアを絞って学習するのがベスト

下記の五郎丸選手の記事は考えさせられる。

具体的な目標があった上での英語学習なら、そんなに苦にならないはずなので、義務教育も専攻別に特化すれば結構うまくいくかも。

 

ビジネスマンにとってMBA英語よりも、セサミストリートの英語のほうが聞き取りにくいことは多々ある。鼻くそ(booger)とか、教科書にでてこないからなあ。

 

だからエリアを絞って一点突破するほうが効率的。もしくは、ゲームで勉強するのも良いかも。

news.mynavi.jp

相手に合わせないリーダーシップは逆効果

レッドクリフ」の長編映画監督として有名な巨匠ジョン・ウーは、作曲家に音楽を頼む場合、

 

「今回の映画において何を表現したいのか」 

「映画において、音楽はどんな役割を果たすべきなのか」

 

といったコアコンセプトを滔々と話すが

 

「どんな音楽にしてほしい」

「どんな楽器を使ってほしい」

 

といった具体的なリクエストは一切しないそうだ。

 

これは作曲家の能力をリスペストし、全面的な信頼を置いているからこそのリーダーシップのふるいかたと言える。(ちなみに、作曲家の能力が監督の期待値を下回る場合、途中でも容赦なく突然クビを切られるとの事。プロの世界は厳しい!)

 

この話を聞いて「なるほど」と思い、自分でも実行してみようと思ったら、少し待ったほうがよい。

 

もしあなたが会社員で新人を育てる役割を担っており、彼らに具体的なやり方を指示しないで、仕事の哲学/コンセプトだけを語るスタイルをとったとしたら、必ず混乱や不満が発生し、おそらくリーダーとしての信頼を失うだろう。

 

ジョン・ウー的なリーダーシップはどこでも通用する訳ではないし、下手をするとブラック上司呼ばわりされるかもしれないのだ。

 

では、いつどんなリーダーシップを振るえば良いのだろうか?

 

世のなかにはいろいろな「リーダーシップ論」があるが、ケン・チャードの「シチュエーショナルリーダーシップモデル(SLモデル)」に当てはめてみるとよく分かる。

f:id:wakabayk:20160315162750j:plain

人の成長は、まず「指示」が多く、自分で考える事を促す「サポート」が少ない「教示的段階」から始まり、上記のような線を描いて、「委任的段階」に至る。

 

つまり、最初の段階では、「教えてもらう」ことが基本にある。

 

もちろん、最初から、ある程度実力のある人だけを採用して育てたり、その分野において一定以上の能力がある人だけが生き残れるような指導もあり得る。

 

例えば、プロの世界(医者でも、プロ野球でも良い)には、ある程度以上の実力(センスを含む)がある人だけが入っているからこそ、監督は基本的に方向性やスピード感だけを指示すれば成り立つ

 

それでついてこれないなら、その世界を去る方が、その人にとって幸せかも知れないのだ。

 

しかし、そもそも人材不足のご時世で、部下をえり好みできない一般的な会社のマネージャーにとって、上記のやり方が不適合であることは言うまでもない。

 

「これが私のリーダーシップのスタイルだ。だからついてこれない奴はやめろ」と言い切れるポジションにいない限り、リーダーシップはある程度相手に合わせる必要がある。 (会社員でそういうポジションにいる人は珍しいと思うが。)

 

お分かりの通り、世の中に溢れる一見矛盾する「リーダーシップのあるべき論」は、このSLモデルのどこかの段階を言っている事が多い。

 

「部下のモチベーションに依存しないようにマニュアルで標準化しろ」という主張も「プロ意識を持たせることだけに集中すればい良い」という主張も間違っていないが、使う相手が違う。

 

それをきちんと認識しないで、思いつきで現場でリーダーシップを使おうとすると、逆効果になってしまう。

 

ジョン・ウー的なリーダーシップが通用するのは、相手もプロレベル(=委任的段階)だからなのである。 

 

まとめれば、

 

「リーダーは相手のレベル感を見極めて、適切なリーダーシップをふるいなさい」

 

 ということだ。

 

ちなみに、このSLモデルは、武道、華道、書道など、およそ「道」と名のつくものに共通する「守破離」の学習モデルとも相性が良い。

 

守:師匠の技(型)を模倣し、身に付けるフェーズ
破:型に自分なりのアレンジを加えて発展させるフェーズ
離:自分なりの型を生み出すフェーズ

f:id:wakabayk:20160315162758j:plain

 

良い師匠は、弟子にうまくこの成長ステップを登らせる。

 

ただ、師匠がそこまで手取り足とり教えてくれなくても、ある程度セルフマネジメントも可能だ。

 

例えば、センスのいい人は、教えられないくてもロールモデルを自分で決めて私淑する(自己学習する)する。自分がなりたい人が、行動レベルで、どんなセルフルールを自分に課していたかを研究し、徹底的に模倣するのだ。

 

すると、ある時期から、表面的に観察できる「行動」の模倣では限界がある事に気づく。そこでもっと精神性(内面)の方に目が向くようになり、それ身につけるには、「型」にこだわらなくても良い事を悟る。

 

さらに、ロールモデルに惹かれた自分自身と向き合う事になり、「なぜ憧れたのか」という理由を自問自答することになる。

 

このような内省プロセスを通じて「破」のステージに自然にエスカレーションしていくのだ。

 

その先には「離」があるが、まさにSLモデルとぴったり一致している事がわかるだろう。

 


余談ながら、観阿弥世阿弥が「守破離」の元祖という解説をたまに見受けますが、これは「序破急」の誤り。

守破離」のコンセプトが成立するのは茶道の流れからで、千利休のずっと後の江戸時代の茶人 川上不白です。

ご興味がある方は、松岡正剛氏の解説をどうぞ。

守破離の思想
 http://1000ya.isis.ne.jp/1252.html

 

 

レッドクリフ Part I ブルーレイ [Blu-ray]

レッドクリフ Part I ブルーレイ [Blu-ray]

 

  

新1分間リーダーシップ

新1分間リーダーシップ

 

 

プロフェッショナルを演じる仕事術 (PHPビジネス新書)

プロフェッショナルを演じる仕事術 (PHPビジネス新書)

 

 

 

 

スリランカの中国資本によるレバレッジ作戦

コロンボ市内の北のほうに、中国が海を埋め立てて建設を計画している

 

「ポートシティ計画」

 

がある。汚職と中国べったりだった前大統領のラジャパクサ氏時代に合意され、埋め立て地にチャイナタウンやカジノをつくるこの壮大な計画は、現職のシリセナ大統領になってから、中断された。

 

www.sankei.com

 

それがこのたび再開される事になった。

 

現在、ラジャパクサファミリーへの告発が相次いでおり、息子や兄弟が次々につかまっている。

www.sankei.com

 

内戦を「虐殺」によって終わらせたラジャパクサ前大統領の功罪は現在同国で問われているところだが、実質的に「平和」をもたらしたことで支持を取り付けていた同氏の賞味期限が急速に切れてきたというところだろう。

 

その意味では国内に自浄作用が働いているという事で歓迎すべき事だ。

 

さて中国主導のポートシティ計画再開だが、これは中国の

 

「真珠の首飾り」

 

計画とも関連しており、スリランカはうまくその誘いに乗ったふりながら、その力を利用して経済発展を目指すつもりだという事だろう。

 

まだまだ経済的には弱小のスリランカが、中国資本に飲み込まれてしまわないかやや心配だが、、今後年1回は同国を訪れるつもりなので、ぜひ現地の様子をまた書いてみたい。

「解決思考」と「批判思考」の狭間

欧米の大学では1年目に「クリティカルシンキング」とか「クリティカルリーディング」の重要性が何度も教授の言葉に出てくる。(僕の大学でもそうだった)

 

意味的には

 

「君たちはもう大学生なんだから、教科書に書いてあることを単に鵜呑みににするのではなく、社会の構成員として自分の頭でちゃんと考えなさいね(もちろん教科書は重要ですけど)」

 

ということ。もっといえば

 

「もし本に書かれていること(著者の主張)が間違っていると思うなら、それに挑戦して、自分なりに仮説を立てたり推論していいよ。それが学問を発展させるんだからね」

 

ということだ。もちろん何でもかんでも「批判的に見なさい(=文句を言いなさい)」ということではない。

 

で、ここからが本題だが、いろいろなところでディスカッションに参加したり、はたから見ていると、世の中には大きく二つのタイプがいることがわかる。

 

一つ目のは「批判」が中心のタイプ。社会が悪い。どこそこの会社が悪い。政治家が悪い、などなどがその典型。「保育園に落ちた日本死ね」「奨学金制度で借金地獄」みたいなものがそれにあたる。

 

いろいろな人の問題提起から、多くの人がその社会問題に関心を持ち、それがいつしかムーブメントになり、最後には国を動かすこともあるので、それはそれで価値があることだ。

 

ジャーナリステックな眼で問題の本質を炙りだす人がいなければ、謎のベースに包まれたままの問題も多いし、その問題にどの政治家がどう対処しているかを知る事は、選挙のときに参考にもなる。

 

もう一つは「解決型」のタイプ。例えば「保育園に落ちた」(=待機児童問題が深刻だ)という社会の

 

「不」

 

に対して、積極的に解決策を考えようという思考特性の人。先進国の事例を拾ってきたり、自分で事業を起こしている人などがこちら側の人に当たる。

 

で、この2つのタイプの人がディスカッションすると、当初はうまくかみ合わない。

 

「批判タイプ」を「解決タイプ」が見みれば

 

「いつまでも文句ばかり言ってないで、何か一つでも解決する方法を考えて実行してみれば」

 

という風になるし、

 

「批判タイプ」からみれば「解決タイプ」の言い草は、

 

「そんなもん私の仕事じゃない」
「お前は恵まれている立場にいるから、そんな悠長なことが言えるんだ」

 

といった風に捉えられる。

 

どっちも間違っていないのだが、この2タイプをうまくかみ合わせるのがファシリテーターの役所と言える。

 

研修などで「問題解決」を教えていると、またに「批判タイプ」の人がだんだん「解決タイプ」に変わっていくのが見えることがあり、見ていて面白い。

 

実は「批判タイプ」の根底には、「自分には何もできない」といった無意識の諦めや、「文句を言ったら、誰か賢い人が解決策を考えてくれる」という淡い期待があることが多い。

 

でもね。

そんな賢い人がいたら、世の中とっくに理想郷になっている。そうなっていないからには、自分で何を変えなければらないし、その力があると自分に分かると、変わっていくのかなーと思う。

 

月並みだけど、「クリティカルシンキング」と「問題解決」的な視点を合わせ持つ事が、大切なのだ。

 

グローバルという働き方

最近、企業のグローバル研修をお手伝いする事があるが、その一環で海外関連会社でのインターンを経て帰ってきた方のコメントが面白かった。

 

その方曰く、

 

海外では、上司でも部下でも自分の仕事のスタンスや方法を主張しなければ相手に理解してもらえない。もちろん主張すれば相手と対立する事もあるが、別にそれはネガティブな事ではなく、相手も主張をぶつけてきてディスカッションする中で、よいバランスを見つけていけば良いという事に気づいた。

 

ある意味、私と逆の経験をされているのだなあと思い感慨深かった。

 

私自身のキャリアはアメリカで始まり、スリランカイスラエルの短い駐在を経て、日本企業へ勤務することになった。

 

一緒に仕事をする人は多くの場合、その道の「プロフェッショナル」である事が多く、彼らの要求レベルを満たすのに苦労した。

 

その一方で仕事自体は比較的やりやすかったし、そのレベルに追いつこうと、いろいろ勉強の機会をいただいたので感謝している。

 

ただミーティング等では、上司云々にかかわらず思った事を発言する欧米スタイルだったので、根回し等々の「日本式」に慣れている一部の人には煙たがられた事も確か。

 

「お前は生意気だ」

 

とばかり何度も睨まれたし、サラリーマンなりにそれなりに苦労もした。

 

そこで、徐々に自分のスタイルを「日本式」に合わせていったという経験がある。

 

今回グローバル研修を行った人の感想は、これの全く反対だったわけだ。

 

もちろんどっちがいい悪いという話ではなく、「郷に入りては郷に従え」という話。

 

ただグローバルを標榜する企業なら、年功序列をベースにした

 

「和」

 

を強要するカルチャー(空気)は変えていく必要があるし、自分たちの特殊性をある程度自覚した上で、マネジメントをしなければならないのだなと思う。

 

「和」は手段であり、目的ではないのだから。