「やっぱり親子なんだなー」
というのが情熱大陸の落合陽一さんの回を見ての感想です。
ここ数年で一気にメディアへの露出が増え、注目されている落合氏。父親はジャーナリストの落合信彦氏です。
私(現在43歳)はお父さんの方にがっつり影響を受けて育った世代であり、私の人生のターニングポイントにおいても大きなインパクトを持ちました。
落合信彦との出会いは中学2年の時。親友が「この本はすごい!」といって紹介してくれたのが、落合さんの「狼たちへの伝言」でした。
私もすぐに読んで相当インパクトを受けたものの、なぜかその後は少し関心が薄れていました。
ただ、大学受験生だった頃に、当時日米貿易摩擦で橋本龍太郎通産大臣が、アメリカとの交渉後に敗北し、情けない顔で記者会見しているのをテレビで見たり、
暗記科目をやりながら「この勉強に何の意味があるんだろう」と悶々としていた時に、突然落合さんの代表作「あめりかよ!アメリカよ!」が記憶に蘇りました。
そこで
「そうだ!京都に行こう」ならぬ「そうだ!アメリカに行こう」
と思い立ち、即行動に移しました。
結局、私も落合さんの出られたオルブライト大学を出て、現在のキャリアを歩んでいるのですが、私がジャーナリスト・作家になったかといえばそうではありません。
ただ、それでよかったと思います。
人生のそれぞれの時点で、自分がなんとなく魅力的に感じたものや、直感的に面白いと思ったものを
「ロールモデル」
としてとことん自分の中に取り込む努力したり、私淑するやり方はかなり有効だなと自分では思っています。
それも一番良いのは、その人物に近い環境に自分をおいて同じ空気を吸うことだ私は思っています。形式知、暗黙知を含めて無意識に自然に学習するからです。
いづれにしろ、人は真似しようとしても真似しきれるものではありませんし、自分では完コピしたと思っても、他人から見たら、その人の個性がプラスされたコピーです。
またそのうち個性がはみ出るところが絶対に出てきます。
例えば、落語の世界を見ると、師匠の技を受けついでいても、弟子は弟子なりに味わいがあります。それ「が」いいのです。
もちろん、それが永遠に単なる劣化コピーだったら無意味かも知れませんが、「自分がなぜその人物に憧れたのか」を突き詰めて考えれば、そこには自分と向き合う内省プロセスが生まれ、本当に自分のやりたかったことがうっすらと見えてきます。
このような(無意識の)「ロールモデル学習法」で飛躍した有名人として私が思い浮かぶのは下記のような方々です。
もちろん、ご本人が真似しようとしたわけではなく、人生のある時期において憧れたり、影響を受けたという意味です。
落合信彦→落合陽一
手塚治虫→多くの漫画家
このような学びの作法は、武道でいえば「型」を学び、「型」を破って新しい方を生み出す「守破離」と同じなのです。
最後に、落合陽一さんが親父のセリフとして語っていた言葉。
「どうせ大した命じゃないんだ。燃え尽きるまでやれ」