大人の考える技術

若林計志が経営・MBAのフレームワークやマネジメント理論を応用しながら、ビジネス・社会問題を考察します

理想と現実のギャップを解決するフレームワーク

セミナーで「コンフリクト(対立)」の解決法(そのためのフレームワーク)についてしゃべることがある。

いわゆる「対立」は<自分>と<他人>の間でだけ発生するように思われがちだが、実は自分の中で発生している事も多い。いわゆる「(自己)葛藤」と呼ばれるもので、これに悩んでいる人も多い。例えばこんな感じ。

・転職すべきか/しないべきか

・引っ越しすべきか/しないべきか

・子どもを厳しくしつけするべきか/自由にさせるべきか

こういった問題を解決しようとする時も、基本的には「コンフリクト」解決と同じフレームワークがそのまま使える。

例えば、「ついつい子どもに怒鳴ってしまう」ことで自己嫌悪に陥っている親のケースを考えてみる。

この葛藤を解決するための基本フレームワークは下記となる。

*このフレームワークTOC(制約理論)の中の「思考プロセス」の3大フレームー枠のうちの一つ「クラウド」をベースにしている。


クラウド1

1)まず「D」「D’」には何に葛藤しているのかを入れる。(DとD'は裏返りの関係だから同じ記号を使用する。裏返しの関係とは「引っ越しする」「引っ越ししない(同じ場所に住む)」というように、「○する」「○しない」という関係になっていることを言う)。今回の場合は「理想」と「現実」のギャップになる。

*あほらしい作業のようだが、自分が何に葛藤しているかすら分からなくほど悩んでいる場合には、これだけでも役立つ。

2)次に「A」に、葛藤の「共通の目的」を入れる。同じ目標を達成したいにも関わらず、手段(DとD')のどっちも良さそうだから悩んでしまうのだ。


クラウド2

3)「B」「C」にはそれぞれの欲求(本音)を入れる。つまり、その手段(D.D')によって、本当は何を達成したいと望んでいるかだ。この場合、

「B. ちゃんとした大人になって欲しい」

「C. よい親でいたい」

という事になる。


多くのビジネス交渉のように、相手の「本音(要望)」が見えないために手段に拘泥し、合意が難しくなっている場合には、「共通ゴール」

「本音」「手段」が分かっただけでも解決に向かう場合が結構ある。

しかし自己葛藤の場合には、さらに踏み込む必要がある。

上記の図で言えば、

BならばD(「ちゃんとした大人になって欲しい」ならば「カッと怒鳴ってしまう」)というロジックを成り立たせてしまっている「理由」を明らかにする必要があるからだ。

この「理由」(下記図の「なぜならば・・・」にあたるのが「信念(Belief)」「世界観(World View)」「価値観(Values)」と呼ばれるものだ。

そして、それを形成しているのは、過去の経験や宗教観、親の影響などだ。とりあえず、ここでは「理由」を「思い込み」と呼ぼう。)

クラウド5

改めて、なぜ(「ちゃんとした大人になって欲しい」ならば「カッと怒鳴ってしまう」)のだろうか?

理由として考えられるのは、

・子どもはだまって親の言うことを聞くべきだ

・怒鳴ると人は従うものだ(特に子どもはそうだ)

といった無意識の「思い込み」だ。無意識は無意識であるだけに、通常ははっきり意識していない。場合によっては、劣等コンプレックスのように自分でそれを見ないように抑圧している場合もある。しかし自己葛藤があるなら、その無意識の「思い込み」にあえて眼を向ける必要がある。そして問うのである。

「それって正しいのだろうか?」と。

例えば「子どもはだまって親の言うことを聞くべきだ」という「思い込み」について、改めて客観的に考えれば、自分はそれを正しくないと思っているかも知れない。しかしそれはそういう思い込みを「見える化」したことで初めて冷静に見えてくる視点だ。

そしてその「思い込み」のルーツは、自分の育ってきた環境(たとえば自分の親の教育方針や学校の教育方針がそうだった)だったりする。

だから自分の中で「デフォルト設定」(=あまりに当たり前)になっているので、通常は見えないのである。

では、「思い込み」が見えたらどうするか?方法としては「弱める」「書き換える(修正する)」といった手が考えられる。(具体的方法についてはこちらのコラムが参考になる:「よく怒る人は、なぜ、あんなに怒るのか?」)

●理想が高すぎるケースも

「現実」側を修正する事も必要だが、場合によっては「理想」側を修正した方が良いケースもある。上記のケースで言えば

「理想の親像」が高すぎ、現実の自分がかけ離れているために自己嫌悪に陥っている事もあるからだ。

例えば

(「C.良い親でいる」ためには「D' 怒鳴らない」)

というのは一見正しそうに見える。ただ、本当に全然怒鳴らない聖人みたいな親ってどれぐらいいるのだろう、と考えると、やはりそこには「思い込み」があるのが見えてくる。

「子育てあるべき論」みたいな情報を入れすぎると、自分もそうじゃなければならないという完璧主義に陥ってしまい、そこに「思い込み」が発生するのだ。

しかし、現実には怒った方が良い場合もあるし、人間なんだから感情が抑えられない場合もあって仕方ない。むしろその方が人間っぽくていいじゃないかとも思える。(もちろん程度によりますが。)

ということで、「見える化」することで、極端な完璧主義は排除できるし、自分の「思い込み」が過去のどんなものに囚われていたかを客観的に認識する事で、それを克服する事もできる。

いずれにしろ重要なのは、一旦書き出して頭をもやもやを整理する事なのである。