大人の考える技術

若林計志が経営・MBAのフレームワークやマネジメント理論を応用しながら、ビジネス・社会問題を考察します

「役人=悪、市民=善」というパラダイムから抜ける

昔お世話になった先生が、あるNGO主催の公開セミナーに出演されるというので参加してきました。

内容は「特定秘密保護法」についての対談でした。

セミナーの方では、ゲストの先生が

・賛成反対に関わらず、相手側の主張を理解する事が必要

・仮に反対だとしても、条文をきちんと読んで、自分は何に反対なのかを知る必要がある

・イメージで反対する人は、世の中の風潮が変わればイメージで賛成するようになる

・国家は情報を隠匿する傾向があるので、そこは注意が必要(社会主義国にその傾向が顕著)

・モノゴトは単純化して考えない

という正論をおっしゃっていて「納得」という感じでした。

ところが、その後のグループディスカッションで、なんというか懐かしいディスカッションになりました。

何かと言うと、市民団体系の人やNGO関係者っていうのは、反権力のスタンスになる人が多いんです。もちろんそれは「弱い人を救いたい」という善意からなんですが、それが変な方向に進んで、

行政(役人)・政治=悪

一般市民 =善

という構図になりやすく、それがエスカレートすると、

権力=資本家=金儲け=悪

一般庶民=善

という極端なパラダイムに囚われてしまう(もっといくと共産主義的に。)

まさにこの(私にとっては)懐かしの主張を展開する人がいて、グループ全体がその意見に引っ張られる感じになりました。

20分ほど、「うーん」という感じで聞いていたのですが、どうもなあと思ったので、

「そもそも国家には秘密にしなければいけない情報ってあるんじゃないですか?」

「安全保障上の情報が、全部だだ漏れだとマズくないですか?」

と発言してみたところ、まさに「こいつ何いってんだ」的な視線が集中・・・まさにアウエー感です(- -;)

でも、そのポイントを突き詰めないと、本当の問題(論点)って見えてこないと思うんですけどね。


私がNGO業界にいた時代にも、

「我々非営利団体は金儲けより崇高な事をやっているんだ」

と主張する関係者がいましたが、私は相当違和感を持っていました。

だって、快適な会議室で議論ができるのも、部屋の照明がちらつかずに明るいのも、会場に安い電車運賃で来られるのも、着ている服が安くて高品質なのも、すべて企業が血のにじむような努力した結果なんですから。

そういう当たり前の事に気づかずに、「金儲けより崇高な事をやっているんだ」と主張する滑稽さに本人が気づいていないのです。

非営利団体営利団体は相互補完関係にあり、通常はお金が回らなければ組織の維持も、ボランティア活動もできません。だからお互いにリスペクトすべき関係なんです。

何でもバランスですが、旧パラダイムに囚われている限り、残念ながら社会的に大きな力にはなりません。(仲間内では盛り上がるのですが。)

といっても、私が

役人(権力)=悪

国民(市民)=善

というパラダイムから抜けたのはここ5−6年の事です。

そのきっかけは、国土交通省や、文科省など、実際に働いてみる人と腹を割って話したこと。実際は、結構真面目だし、熱い思いを持った人が多いんです。

あらゆるコンフリクトがそうなんですが、知らない人にレッテルを貼るのは簡単です。殺し合いをやっている紛争地でもこれは同じです。

(余談ですが、マスコミだけ見ていれば、韓国人や中国人はみんな日本を敵視しているような錯覚に囚われますが、少しでもこれらの国に友人がいれば、すぐにそういうステレオタイプな見方は誤っている事に気づきます。)

「官僚が悪いんだ」「政治家が悪いんだ」

と「人のせい」にするのは楽ですし、マスコミがそういう単純化した主張をしているのに同調していれば、なんとなく分かった気になっちゃいがちです。

もちろん官僚(特に上層部)に汚職がないとは言いませんし、「人間的に腐っているな」としか思えないような人に出会った事も当然ながらあります。ただ、そこをあえて

「なんでこの人は、こんなふうになっちゃったんだ」

「何(どんな組織の仕組み)が、彼をこんなに行動に駆り立てているんだ」

と考えてみると、一歩先にいく事ができます。

(参照:行政改革の鍵はKPIの変更

私も元々反権力志向なので、ここまで納得するのに結構時間がかかっていますが、NGOの会合などで懐かしの旧パラダイムに囚われている人に、どうやったらこの事を分かってもらえるのかなあと、改めて思いました。

難しいもんです。