大人の考える技術

若林計志が経営・MBAのフレームワークやマネジメント理論を応用しながら、ビジネス・社会問題を考察します

大統領選とキリスト教

米大統領選はオバマが再選されましたが、このテーマについて複数の経営者と雑談をしている時に、プロテスタントカトリックの話になりました。

アメリカ人は元々プロテスタントの国ですが、現在では全人口の73%がキリスト教。(意外に低い!)。そのうちプロテスタントが58%、カトリックが24%。(ロムニーモルモン教は2%ほど)

ちなみに私の母校オルブライト大学はメソジスト系の大学です(メソジスト=Methodist=Method+ist(意味的には「方法の人」)は、プロテスタントの中でも、生活様式を重要視する派)


元々、プロテスタント運動は、ヴィッテンベルク大学のルターが「贖宥状」に反対したのに起因します。なぜ教会が贖宥状を売ったのかと言えば、借金返済のため。

マインツ大司教アルブレヒトは、高い地位をお金で手に入れるために、高利貸しのヤコブ=フッガーにお金を借りました。その借金返済のために、ローマ教皇と組んで売り出したのが贖宥状。実際に販売を取り仕切ったのはフッガーであり、その動きに待ったをかけたのが、ルターだったのです。

そもそもローマ教皇(レオ10世)が許可した理由は、その売上高の一部がサンピエトロ大聖堂の建設費用に充てられたためです。

サンピエトロ(聖人ペテロ)寺院は、ローマで布教活動をしていたキリストの一番弟子ペテロのお墓がある場所に建てられています。作ったのはローマ帝国コンスタンティヌス帝。彼のお母さんがキリスト教に改宗したことから自分の息子にも勧め、結局ローマ帝国の公認宗教となりました。(だから初代ローマ教皇はペテロ。またペテロは「岩」「礎」というあだ名であり、本名はシモン。)

その後、キリスト教会は皇帝以上の絶大な権力を手に入れることになります。

(これを表す象徴的な事件は、神聖ローマ帝国皇帝がローマ教皇に屈服した「カノッサの屈辱」(1077年)です。)

そこにルターが(贖宥状も含め)「聖書に根拠がない限り認められないよ」と水を差したことで論争に発展したのです。

カトリックプロテスタントの双方は、理詰めで相手を論破するために研究を重ねました。

中世ヨーロッパで大学(University ←一つの目的に向かう共同体という語源)といえば神学の研究機関だったので、その大学でことさらにロジカルシンキングが発展したのは、神学論争が背景にあったようです。

(*詳しくは日下公人さんや東大教授の小室直樹さんの本をどうぞ。)

余談ながら、MIT(マサチューセッツ工科大学)を含めた工科系大学が、大学=「University」ではなく「Institute」という名称を使っているのは、大学が「神学」を研究する機関だったという背景があると言われています。

ーーーー

その一方で、英国ではヘンリー8世の離婚問題を巡って、ローマカトリックと対立しました(ローマ教皇が離婚を認めなかったため)。ヘンリーはどちらかと言えば脱カトリックプロテスタントではなかったのですが、プロテスタント運動と脱カトリックの英国は利害が一致し、その後、イギリス国教会となりました。(だが国教会はカトリック的な儀式を継承しているため、プロテスタントカトリックの融合したカタチになっています。)

その後、英国国教会の改革運動を起こしたピューリタン清教徒)の中で、生命の危険を感じて祖国を離れた人々(ピルグリム・ファーザーズ)が作ったのがアメリカです。


余談ながらハーバード大学は、最初の寄付者でありビューリタンの牧師であったジョン・ハーバードの名にちなんで名付けられています。