大人の考える技術

若林計志が経営・MBAのフレームワークやマネジメント理論を応用しながら、ビジネス・社会問題を考察します

失敗から学ぶ技術

人が失敗から学ぶのは案外難しい。

なぜなら失敗には感情がつきまとうからである。

思い通りにいかなかったときに悔しいと思う。

だからそんな現実から目を背けてしまいたいというのが普通である。

我々は失敗を犯したとき、とってしまいがちな態度は、自分は間違っておらず、相手や環境が悪いと判断することだ。

「自分のやり方が間違っていた」

「自分に落ち度があった」

という風には思わない。というより、そうは思いたくないという深層心理が働く。失敗の原因という矢印を自分に向けずに、自分から外に向け、納得できる理由探しをする。あくまで悪いのは自分以外と思いたいのだ。

もちろん、それが正しい場合もありえるし、そういう考え方でいままでの人生を生きてきたのだから、直ちに直さないと生きていけないというものではない。また他人がそれを指摘し、いい/悪いと判断する事でもない。

だから「教えてください」といって自分で求めない限りは、どこかから金八先生が現れて、あなたの悪いところを愛情を持って指摘してくれることはない。

もし頼まれもしないのに、ああだ、こうだといってくる人がいたら、普通の人はきっと反発する。だからわざわざ得な事もないのに、嫌われるリスクをとり、その上精神的なパワーを裂いてまで、他人にそんな指導をするお人好しはいない。

これまでの人生を判断を積み重ねながら生きてきて、その最終結果が現在の自分である。それがもし「自分が望まない結果」「ベストではない状態」だとしたら、やっぱり何か経験からヒントを得るほうが得だ。

自分の何かに修正するところがある、足りない事がある事に、薄々気づいていたとしても、自分のプライド(自分はすごい、偉いという意識)という感情が邪魔する。だからそれを乗り越える覚悟が必要となる。

年齢や学歴、部長だ、なんだと役職がつけばつくほど、それにふさわしいと自分が想像して、その通りに演じている自分を、いったん否定し、問題の本質を見極めるのは、厳しい自己葛藤を乗り越えないとだめなのだ。

失敗から学び、プライドを作り直す事は、それまでの人生を疑う事になるし、一時的にでも精神的に不安定になる事を意味する。だから、「俺は正しいんだ」と自己暗示にかける。

不思議な事に、自分をだましているうちにそれが本当の事に思えてきて、さらにこのプライドは強化される。

また、それを他人から指摘されたとすれば、さらに心はかたくなになるだろう。程度は違うが、この気持ちは勉強しようと

思ったのに、勉強しなさいとお母さんに指摘されたときのあの気持ちと似ている。本当は自分でも、今のままではだめだと薄々気づいているのだ。

だから、それを本当に乗り越えられるかどうかは「環境から指導される力(学ぶ力)」が試されるときなのだ。

師匠は弟子になる心の準備ができたときに、はじめて現れるのである。


●いったん失敗を認識できたら後は早い

本質的問題解決のプロたちにいわせると、顧客企業の問題の本質が正しく把握できたとしたら、その問題は90%解決

したといっていい。これは自分自身の問題でも同じである。

失敗を「失敗である」という正しい認識できていたら、解決は近い。

これは高度な知識をたくさん学んだからいってできるスキルではない。もっと自分自身にベクトルを向けていって深く内省/内観する精神性が必要なのだ。

問題の認識が正しくできたら、考えるべき事は、もし状況をかえられるのであったとしたら、どの要素(変数)を変えれば望むべき結果が得られたのか?

だいたいの場合人間関係でもめたり、失敗する場合、自分の憶測と相手の憶測がずれてしまう事がきっかけとなる場合が多い。

「●●のはずだ。」という根拠のない推測(ある程度は経験に基づいているのだが)が悲劇を生む。だから、そのような事が原因で失敗が起こったとしたら、学ぶべきレッスンは、人間関係の場合であれば相手の真意はなにか、ということを、事前にどうにかしてもう少し正確に推測するスキルを身につける事だ。

ほとんど場合、これだけで劇的に問題が解決するのである。もちろんこれは容易ではないが、トライする価値はある。

enjiru