TBS「消えた天才」の1月3日放送は、 松井秀喜さん、松岡修造さんなどが、かつて絶対に勝てなかったライバルについて語る新春スペシャルだった。それを見ながら、
「天才になった人」と「天才になれなかった人」
を分けた共通点は何だったのだろうと考えた。番組をみる限り、天才としての実力は僅差で、しかも見方によってはライバルであった「消えた天才」の方が上回っていた。
そして少なくとも「天才」になった一流プレーヤー自身が「あいつには敵わなかった」と語っているので、(多少思い込みがあったとしても)それなりに真実は含まれているのだとは思う。
ただ能力があったにも関わらず、それ開花させられた天才は一部に過ぎない。なぜか。それは外部要因、内部要因がベストなタイミングでマッチしなかったからである。
では、どうすれば「天才」になりえたのか?結論としては下記の3つが共通していた。
1)自己肯定感(自信)をつけるために十分な修行期間があった
2)厳しい練習を克服するモチベーションがあった(自分のやっている競技が好きだった)
3)運があった(タイミングが良かった)
1)自己肯定感(自信)をつけるために十分な修行期間があった
これについては松岡修造さんが現役時代に「唯一勝てなかった錦織クラスの天才」と語る辻野隆三さんのケースが参考になる。
10代の頃、同じテニスクラブに所属していた2人だが、辻野は松岡より早く実力を見出され、世界のトッププレーヤーの卵しか入れないアメリカの超名門クラブにスカウトされた。松岡には声がかからず悔しい思いをしたそうだ。
だが、名門クラブでのトレーニングは過酷だった。周囲のレベル感があまりに高すぎたために、徐々に辻野は
「やっぱり日本人のテニスプレーヤーは世界で通用しないんだ」
という考えにとらわれるようになり、ついにはプレーヤーとして挫折してしまった。一方、松岡の方は、日本で十分修行してから、海外の地味なトーナメントで徐々に出て「勝ち癖」をつけ、それに伴って実力アップさせていった。
もちろん「いきなりメジャー」という修行方法もあると思うし、センスを養うために、早い段階で自分の実力より高い「実戦」を経験することも大事だと思うが、(巨神兵ではないが!)早すぎる実戦投入は「戦死」を招いてしまう。辻野さんの場合は、これに当てはまる。
ただ、その辺りのさじ加減は、選手本人には分からないところもあり、指導者の采配が大事なところなのだろう。
また「良い指導者につくことが大事である」ことには間違いはないが、いつまでも偉大な指導者の元で修行し続けると、依存心が強くなってしまうとマイナス面の方が多くなる。
修行の原理原則である「守破離」にしたがって、どこかで「師匠を超える」ことを目指さないと、劣化コピーで終わってしまう。
師匠もそのことを知っていて、自分を超えさせようとする人が本当の一流なのだと思う。
余談になるが、自分に依存させ「自分がいないと何もできない」というマインドコントロールにかけるような宗教家チックな師匠を選んでしまったら、そこから「卒業」できなくなってしまう。(ビジネスの世界には結構これに当てはまる事例があるように思う。)
2)厳しい練習を克服するモチベーションがあった(自分のやっている競技が好きだった)
青学の箱根駅伝選手として歴代ベスト走者として名を馳せ、オリンピックを嘱望されていた出岐雄大さんが紹介されていたが、卒業後は早々にマラソンから引退している。その理由として
「走り続けるモチベーションが続かなかった」
と本人が語っていた。青学時代は原監督の
「今の自分をちょっとだけ越えるゴールを設定させる」
という指導法があまりに良かったために、競技にのめり込んでいたそうだが、中国電力で実業団選手になると、自分自身で走るモチベーションを維持することを求められるようになった。そこで「自分は走ることにそこまで没頭できない」ことに気づき、引退を決意したという。
それはそれで頂点を極めたからこそ気づくことで、「やったおけばよかった」という未練を残して現役を引退するより良かったんだろうなと思う。
逆に言えば、「天才は、まだその競技が自分にとって本当に面白いかどうか分からない時期に、とことんのめり込める(エンゲージメントできる)競技をたまたま選べたこと」にある種のラッキーさがあるし、そこに生まれつきの能力が合わさったということなのだと思う。
3)運があった(タイミングが良かった)
松井秀喜さんは番組で、現役時代に「打てなかった投手」として、星稜時代のチームメートでエースだった山口哲治さんの名前を挙げていた。山口さんはプロからドラフト指名がかからず、プロにはなれなかったが、そもそも松井はピッチャー志望で星稜に入学したそうだ。
ところが山口さんの方が投手としての実力は全然上で、松井は早々にピッチャーを諦めざるをえなくなり、打撃に専念するようになった。これが松井のメジャーリーガーとしてのキャリアを切り開くことに繋がった。(イチローも、高校(愛工大名電)時代に怪我で投手の夢を諦めたことが成功につながっている。偶然に一致だろうか。)
前述の松岡修造のライバルだった辻野隆三さんのケースでも、テニス界に野茂英雄のような先駆者がいたら、また展開は違っていたはずだ。錦織もタイミングが違えば、辻野隆三と同じ命運をたどっていたのかもしれない。
偉大な師匠に出会う、偉大なライバルに会う・・・何でもそうだが、これらは自分である程度コントロールできるものと、運を天に任せるしかないアンコントーラブルなものに分けられる。相手に実力があったとしても、必ずしもライバルになるかどうかは分からないからだ。
個人としては、コントロール可能なもの(コントローラブルなもの)に集中する血の滲むような努力をするしかないが、天才は絶妙なタイミングで両方を手にし飛躍している。
マネジメントや子育ての視点で考えるなら、上記の2つについて、ある程度のところまでは関与できると思う。しかしロケットでいうなら、それが2段ロケットぐらいまでの話で、最後は自分で大気圏を超えるしかない。
1)自己肯定感(自信)をつけるために十分な修行期間があった
2)厳しい練習を克服するモチベーションがあった
3)運があった(タイミングが良かった)
いづれにしても、運やツキが回ってきたときに、それを掴み取れるかは準備をしているかどうかに関わってくるのは間違いなさそうだ。