大人の考える技術

若林計志が経営・MBAのフレームワークやマネジメント理論を応用しながら、ビジネス・社会問題を考察します

相手に合わせないリーダーシップは逆効果

レッドクリフ」の長編映画監督として有名な巨匠ジョン・ウーは、作曲家に音楽を頼む場合、

 

「今回の映画において何を表現したいのか」 

「映画において、音楽はどんな役割を果たすべきなのか」

 

といったコアコンセプトを滔々と話すが

 

「どんな音楽にしてほしい」

「どんな楽器を使ってほしい」

 

といった具体的なリクエストは一切しないそうだ。

 

これは作曲家の能力をリスペストし、全面的な信頼を置いているからこそのリーダーシップのふるいかたと言える。(ちなみに、作曲家の能力が監督の期待値を下回る場合、途中でも容赦なく突然クビを切られるとの事。プロの世界は厳しい!)

 

この話を聞いて「なるほど」と思い、自分でも実行してみようと思ったら、少し待ったほうがよい。

 

もしあなたが会社員で新人を育てる役割を担っており、彼らに具体的なやり方を指示しないで、仕事の哲学/コンセプトだけを語るスタイルをとったとしたら、必ず混乱や不満が発生し、おそらくリーダーとしての信頼を失うだろう。

 

ジョン・ウー的なリーダーシップはどこでも通用する訳ではないし、下手をするとブラック上司呼ばわりされるかもしれないのだ。

 

では、いつどんなリーダーシップを振るえば良いのだろうか?

 

世のなかにはいろいろな「リーダーシップ論」があるが、ケン・チャードの「シチュエーショナルリーダーシップモデル(SLモデル)」に当てはめてみるとよく分かる。

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人の成長は、まず「指示」が多く、自分で考える事を促す「サポート」が少ない「教示的段階」から始まり、上記のような線を描いて、「委任的段階」に至る。

 

つまり、最初の段階では、「教えてもらう」ことが基本にある。

 

もちろん、最初から、ある程度実力のある人だけを採用して育てたり、その分野において一定以上の能力がある人だけが生き残れるような指導もあり得る。

 

例えば、プロの世界(医者でも、プロ野球でも良い)には、ある程度以上の実力(センスを含む)がある人だけが入っているからこそ、監督は基本的に方向性やスピード感だけを指示すれば成り立つ

 

それでついてこれないなら、その世界を去る方が、その人にとって幸せかも知れないのだ。

 

しかし、そもそも人材不足のご時世で、部下をえり好みできない一般的な会社のマネージャーにとって、上記のやり方が不適合であることは言うまでもない。

 

「これが私のリーダーシップのスタイルだ。だからついてこれない奴はやめろ」と言い切れるポジションにいない限り、リーダーシップはある程度相手に合わせる必要がある。 (会社員でそういうポジションにいる人は珍しいと思うが。)

 

お分かりの通り、世の中に溢れる一見矛盾する「リーダーシップのあるべき論」は、このSLモデルのどこかの段階を言っている事が多い。

 

「部下のモチベーションに依存しないようにマニュアルで標準化しろ」という主張も「プロ意識を持たせることだけに集中すればい良い」という主張も間違っていないが、使う相手が違う。

 

それをきちんと認識しないで、思いつきで現場でリーダーシップを使おうとすると、逆効果になってしまう。

 

ジョン・ウー的なリーダーシップが通用するのは、相手もプロレベル(=委任的段階)だからなのである。 

 

まとめれば、

 

「リーダーは相手のレベル感を見極めて、適切なリーダーシップをふるいなさい」

 

 ということだ。

 

ちなみに、このSLモデルは、武道、華道、書道など、およそ「道」と名のつくものに共通する「守破離」の学習モデルとも相性が良い。

 

守:師匠の技(型)を模倣し、身に付けるフェーズ
破:型に自分なりのアレンジを加えて発展させるフェーズ
離:自分なりの型を生み出すフェーズ

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良い師匠は、弟子にうまくこの成長ステップを登らせる。

 

ただ、師匠がそこまで手取り足とり教えてくれなくても、ある程度セルフマネジメントも可能だ。

 

例えば、センスのいい人は、教えられないくてもロールモデルを自分で決めて私淑する(自己学習する)する。自分がなりたい人が、行動レベルで、どんなセルフルールを自分に課していたかを研究し、徹底的に模倣するのだ。

 

すると、ある時期から、表面的に観察できる「行動」の模倣では限界がある事に気づく。そこでもっと精神性(内面)の方に目が向くようになり、それ身につけるには、「型」にこだわらなくても良い事を悟る。

 

さらに、ロールモデルに惹かれた自分自身と向き合う事になり、「なぜ憧れたのか」という理由を自問自答することになる。

 

このような内省プロセスを通じて「破」のステージに自然にエスカレーションしていくのだ。

 

その先には「離」があるが、まさにSLモデルとぴったり一致している事がわかるだろう。

 


余談ながら、観阿弥世阿弥が「守破離」の元祖という解説をたまに見受けますが、これは「序破急」の誤り。

守破離」のコンセプトが成立するのは茶道の流れからで、千利休のずっと後の江戸時代の茶人 川上不白です。

ご興味がある方は、松岡正剛氏の解説をどうぞ。

守破離の思想
 http://1000ya.isis.ne.jp/1252.html

 

 

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