大人の考える技術

若林計志が経営・MBAのフレームワークやマネジメント理論を応用しながら、ビジネス・社会問題を考察します

「解決思考」と「批判思考」の狭間

欧米の大学では1年目に「クリティカルシンキング」とか「クリティカルリーディング」の重要性が何度も教授の言葉に出てくる。(僕の大学でもそうだった)

 

意味的には

 

「君たちはもう大学生なんだから、教科書に書いてあることを単に鵜呑みににするのではなく、社会の構成員として自分の頭でちゃんと考えなさいね(もちろん教科書は重要ですけど)」

 

ということ。もっといえば

 

「もし本に書かれていること(著者の主張)が間違っていると思うなら、それに挑戦して、自分なりに仮説を立てたり推論していいよ。それが学問を発展させるんだからね」

 

ということだ。もちろん何でもかんでも「批判的に見なさい(=文句を言いなさい)」ということではない。

 

で、ここからが本題だが、いろいろなところでディスカッションに参加したり、はたから見ていると、世の中には大きく二つのタイプがいることがわかる。

 

一つ目のは「批判」が中心のタイプ。社会が悪い。どこそこの会社が悪い。政治家が悪い、などなどがその典型。「保育園に落ちた日本死ね」「奨学金制度で借金地獄」みたいなものがそれにあたる。

 

いろいろな人の問題提起から、多くの人がその社会問題に関心を持ち、それがいつしかムーブメントになり、最後には国を動かすこともあるので、それはそれで価値があることだ。

 

ジャーナリステックな眼で問題の本質を炙りだす人がいなければ、謎のベースに包まれたままの問題も多いし、その問題にどの政治家がどう対処しているかを知る事は、選挙のときに参考にもなる。

 

もう一つは「解決型」のタイプ。例えば「保育園に落ちた」(=待機児童問題が深刻だ)という社会の

 

「不」

 

に対して、積極的に解決策を考えようという思考特性の人。先進国の事例を拾ってきたり、自分で事業を起こしている人などがこちら側の人に当たる。

 

で、この2つのタイプの人がディスカッションすると、当初はうまくかみ合わない。

 

「批判タイプ」を「解決タイプ」が見みれば

 

「いつまでも文句ばかり言ってないで、何か一つでも解決する方法を考えて実行してみれば」

 

という風になるし、

 

「批判タイプ」からみれば「解決タイプ」の言い草は、

 

「そんなもん私の仕事じゃない」
「お前は恵まれている立場にいるから、そんな悠長なことが言えるんだ」

 

といった風に捉えられる。

 

どっちも間違っていないのだが、この2タイプをうまくかみ合わせるのがファシリテーターの役所と言える。

 

研修などで「問題解決」を教えていると、またに「批判タイプ」の人がだんだん「解決タイプ」に変わっていくのが見えることがあり、見ていて面白い。

 

実は「批判タイプ」の根底には、「自分には何もできない」といった無意識の諦めや、「文句を言ったら、誰か賢い人が解決策を考えてくれる」という淡い期待があることが多い。

 

でもね。

そんな賢い人がいたら、世の中とっくに理想郷になっている。そうなっていないからには、自分で何を変えなければらないし、その力があると自分に分かると、変わっていくのかなーと思う。

 

月並みだけど、「クリティカルシンキング」と「問題解決」的な視点を合わせ持つ事が、大切なのだ。